メイン

法則 アーカイブ

2009年4月10日

英語力が急速に落ちてきました

america001.jpg
アメリカから帰国して5ヶ月、急速に英語力が落ちてきた。
帰国前を100とすると、この数ヶ月は90-95あたりで推移していたように思う。が、ここにきて体感的に65-70くらいにまで悪化しているように感じる。まず単語が出ない。流ちょうにしゃべれない。
という事を感じながら思うことはこれである。
「昔取った杵柄ってのは、ありゃうそなのか?」
考えても見れば昔やったことがある事を、長いブランクの後でうまくできたことがあるか?自分の経験はたいていこうだ。
・久しぶりに何かをやってみると、(全く出来ないことはないにしても)あまりにも出来ないのでびっくり
・でも頭の中は「このくらいは出来るはず」という思いがある
・そのギャップにいらいらする
・いらいらしないところまで自分の能力が上がるまで待てず、再びやらなくなる
の繰り返しのような気がするのだが。
「杵柄」であれこれ調べてみると、どうもこの言葉は「体で覚えたリズムや方法は忘れない」というふうに取ることも出来そうだ。「杵柄」のことを言えるのは、比較的肉体労働のような作業の経験を指しているのかも知れない。ということで、
ryo907杵柄の仮説
・頭は体より覚えが悪い
・人間の能力は放っておけばある一定のところで下げ止まる
・(さらに自信はないが)体で覚えたことはどこかで下げ止まるが、頭で覚えたことはどこまでも下げ止まらない
当方の英語の能力で実験だ(やめておいた方がいいような気がするが)。

2009年4月24日

アメリカの子供の文字

学校生活の中でみんなが書く文字に個性がある事に気付き、もしかしてアメリカでも同様の事が起こっているのではないか、90年代の変体少女文字みたいに女子の書く文字はどこでも丸くて装飾的だったりするのだろうか、なんて考えた人はいないだろうか。普通はいないか・・・まあいいや。つかみがうまくいかなくても強引に本題へ。下の写真は息子が日本に帰るとき、クラスメートからもらった文集の一部分だ。

letters01.jpg
女子の書いた文字:A,C,D,F,G
男子の書いた文字:B,E
どうですか。あきらかに違いますか。そうですか。
・一般的に、女子の方がテキストの量が多い。さすがというか、当たり前というか。
・女子のテキストの方がきれいで読みやすい。男子は、なんつーか雑だ。誤字(スペルミス)も多かったりして。間違えた上から消しゴムで全部消してあったりするのが、きれいに消えてなくて文字が二重になっていたり。
・さらに装飾的な処理が女子のテキストには散見される。
 A:たとえばiの点を丸で表現したり、fの処理なんかもきれいだ。
 F:yの下に伸びる部分がくるっと巻いていたりってのもいい感じだが、一般的な斜体とは反対側に逆スラントさせているところがむしろスタイリッシュだったりして。
ともかく、文字に対する神経の使いかたからして他人とは大違いだ。
自分の場合、人が運転する車やバイクには、清掃状況から運転マナーまで持ち主の個性そのものが表現されると考えており、それゆえ車をドレスアップしたりワックスかけたりすると思うのだが、同様の関係が女子-文字に当てはまらないだろうか。すなわち「女子は文字を自分の表現手段として重要視しており、文章の内容のみならず、字体にも個性が強く現れると考えている」とは言えないか。
「文字を」に関しては、現状は仮説でしか言えない気がするが、少し概念を大きくして「言葉を」としたら、これは経験上、間違いない事のように思える。すなわち、
「女子は言葉を自分の表現手段として重要視している」
え、自分ももっときれいな字を書けって??はい、前向きに善処します・・。自分が取った議事録、自分で読めないことがよくある・・・。

2009年5月26日

空が広く見える理由を考えた

sky00s.jpg
あちこちを旅したりしてきれいな空に出会ったりしたときに、「空が広いなあ」さらに「どうしてこの空は広く感じるのだろうか」と思ったことはないだろうか。以下は当方が考えた、その理由である。ちょっと長いので以下のページに展開。

こちらをクリック

2009年6月17日

2次元の世界に行く夢を見たことがありますか

heidi01.jpg
これを見ている、数少ない皆様に質問。2次元の世界に行ったことがありますか。
当方、漫画は好きだし、アニメだって嫌いじゃない、むしろ好きな方だと思うのだが、自分の記憶の許す限り、2次元の世界にいく夢を見たことがない。白昼の想像の話ではなくて、夜、夢を見るときに、さながら映画「トロン」(皆、知らんか・・・)みたいに自分の存在が漫画やアニメのような2次元の世界に転送されて、その場で行動するというような夢を見た記憶がない。沖田艦長やメーテルのような、人物の夢なら見たことがあるかも知れないが、その場合でも背景はあくまで実在の3次元の世界であって、自分のいる世界全体(ついでに言うと自分も)が2次元に再構成された、という記憶はないのだ。3Dの世界としてなら、遠い未来の風景とかカウンタックの操縦とか、何度も見たことがあるのだが。
当方が思うに、夢における世界の再現/構成を、2次元のような現実世界と大幅に違う状態に差し替えて行うのは、大脳の処理能力を超えているのではないか。しかし、ゲームの世界なら、リアルな背景画面のように夢と現実の境界があいまいなものもある。ここから先はあくまで当方の考えであるが、
・3次元空間を行き来できるゲームの世界 -きっと行ける
・アニメ、漫画、2Dのゲームのように頭の中で2D-3Dの座標変換が必要なメディアの世界 -きっと行けない

もしかしたら、この問題は当方の脳の処理能力が足りないだけで、もっと想像力の豊かな人、あるいは例えば現実世界に嫌気がさしていて、できるならば2次元の世界で永遠に暮らしたい、と思っているような人であれば、もしかしたら行けるのかも知れない。もし経験のある方がおられましたら、ぜひ教えてください。
・しかし自分が漫画の世界に行けたとしたら、自分の姿はいったいどのようにデフォルメされるのであろうか。かわぐちかいじみたいなのならともかく、しりあがり寿とか漫☆画太郎みたいなのだけはやめてほしい今日この頃。
・本画像の背景は、ハイジのサウンドトラックCDからちょっと拝借。音楽:渡辺岳夫。癒されますです。

2010年1月 6日

懐古趣味について考えた

tapes03.jpg
ここのところブログの画像がテープばっかりだ。実際そういう事をしているのだから仕方ないのだが、古いものを聴いていると、もしかして懐古趣味に陥ってしまったのではないかと心配になる。ということで自己を再確認してみた。
・古いものを聴いたり知ったりする事そのものは、懐古趣味ではない。演歌であろうと、グレゴリオ聖歌であろうと、複雑なオーケストレーションだとか声の運びとか、新しい発見がある(温故知新とはそういうことですか?)。それを求める限り、古典を知ることは懐古趣味ではない。
・一方、新しい何かを求めることをやめた時、過去体験した感動の再体験ループに嵌り込んでしまったとき、懐古趣味が始まる。
 ・新しい曲でも「ああいいねえ」で終わらせてしまうような聴き方
 ・新しいジャンル、新しい人を開拓しないで既存のものだけで完結させる
と言う風に考えると、自分がやっていることは決して懐古趣味ではないな。以上! ・・・子供の時おじさんを見て「古くさいことやってんな」と思ったことが何度もありますが、何も分かってませんでした。すみませんでした。と、過去の自分に成り代わって世間にこっそり謝っておく。その替わり、自分を懐古趣味の漏斗から(気持ち的に)脱出させることに成功。よし。

2010年1月20日

アメリカ人から見た外タレの英語力#2 米人に聞いてみる

前回はアメリカ人から見た外タレ、すなわち米国以外のアーティストの歌の英語というのはいったいどの程度のものなのよ、という疑問の提起をした。今回は知人の米人2名(東海岸出身AとB)に、外タレの英語がどの程度のものなのか、聞いてみた。聞いてみたのは以下のアーティスト。いずれも違わぬビッグネームばかりである。こんなところでこんな事されているなんて知りもしないだろう。知ったところで気にするはずもないが。
Nickelback (Canada)
Coldplay, Oasis (UK)
U2, Enya (Ireland)
Rickey Martin (Puerto Rico)
ABBA, Cardigans (Sweden)
Bjork (Iceland)
JET (Australia)

まず、一般的な回答としては以下の通り。
一部を除き、米国人の発音との違いは見られない。すなわち、歌を聴いて米国人かそうでないかを区別するのは困難。歌としては、ほぼ全員問題ない。(A) (区別できるアーティストは後述)
まあまあ分かるかな。国籍は特定できないまでも、米国人でないことはなんとなく分かると思う。歌としては、ほぼ全員問題ない(B)。

各アーティストについて:
Nickelback (Canada)
カナダ出身ということを知らなかった(A)。

Coldplay, Oasis (UK)
UKの発音は、けっこう区別しやすい(AB)

U2, Enya (Ireland)
かなりアメリカナイズドされており(U2)、全く問題なし。

Rickey Martin (Puerto Rico)
英語の発音としては問題ないが、あまりにも歌に内容がなさすぎて、感動する余地がない(AB)。なるほど、それで和訳しても「アチチアチ」になる訳だ。大変よく分かりました。

ABBA, Cardigans (Sweden)
歌としては全く問題なし。喋ったら分からないけど(A)

Bjork (Iceland)
アクセントが強烈すぎる。アメリカの発音ではまったくない。しかし、それが歌詞の内容と相まって、よけいに歌のメッセージを強くしている(AB)。なるほど、カルトな人気を博すのもそういうところから来ているのかも。

JET (Australia)
歌を聴いたことがない(A)。アーティストそのものを知らない(B)。おかしいな。昔に住んでいたボストンではしょっちゅうかかっていたのだけどな・・・・・。

ということで、以下は当方の感想。
・歌よりも、喋りの方がアクセントはストレートに現れる。当たり前といえばそうだが、米国でもどうやら同じらしい。BoAの歌を聴いても国籍を当てる自信はないが、会ってしゃべればすぐ分かる(はず)。
・逆に歌は、メロディでアクセントやイントネーションがかなり固定化されてしまうので、アクセントの違いが出にくい。メロディがあるということで、ある程度はごまかせる。
・しかし、ということはだ、歌い手の発音に問題がなくても、メロディの作り方次第ではかえって変な曲になってしまう可能性があるかもしれない。日本人は日本語のトレーニングを長期にわたってしているので、たとえば「走る」という言葉一つとっても、「はしる」の「し」にアクセントを置く(とりあえず標準語としては)ことは誰でも知っていて、メロディを作るときにそれが自然に聞こえるように(意識しなくても)音符を置いていくことができる。しかし、そのへんのセンスが分かっていない人がメロディを作ると、なったく「なってない」歌になってしまう可能性がある。ということは、Bjorkを除いた今回調査の全員は、そういうセンスを持った人が曲を作ったか、あるいはそういう人のアドバイスを受けながら作った、ということになる(あるいはBjorkがわざと外して作っているか)。
・アメリカにも方言があるし、今回試したアーティストが標準的な英語からどれだけ離れているか、たとえば標準語と関西弁くらい離れているのか、というのを比較するのはここでは難しい。ただし、彼らと話をした限りでは、国土が広くて多人種国家である米国は、方言とか訛りについては日本語よりも寛容なのではないか、という印象を持った。
・面白かったのはBjorkで、なぜか二人とも「いや、別にオレは好きとかそんなんじゃないんだけどね・・・」といった態度を取ること。カルトな歌を好きというのは、あるいはBjorkの歌が好きだというのは、そんなに勇気の要ることなのか。あるいは彼女の歌を自分が分かってないだけなのか。
・前回のエントリーで出したLene Marlinの歌は、「まあ問題なし(A)」「ちょっとアクセント強いかな。アイルランドっぽいか?(B)」だそうで。


さあそこで日本人。今までもたくさんのアーティストが世界進出をしようとしてきた。ピンクレディー、矢沢永吉、松田聖子、ドリカム。世界を目指した、彼らの英語力というのはどうなのよ、と気になってくる。ヒットした歌もあればそうでないものもあり。その原因は歌なのか、発音なのか。例えばだ、以下の新旧2人あたりはどうだろうか。

ゴダイゴ
70年代後半に人気のあったバンド。「ガンダーラ」「銀河鉄道999」などが有名。5人のメンバーのうち2人は米国人?当時から英語の歌を多くリリース。当時小学生だった自分的には「英語はうまいんだよね?」と思っていたが、実際はどうなのか。


宇多田ヒカル
utada01.jpg
(ジャケット写真、かっこうよし。元ダンナの才能を感じる)
新しめなところではこのあたり。海外生活が長いようだが、だからといって油断はできない。ちょっと住んでいなかっただけで、「いけてない」感は容易に作れてしまう。例えば、当方が「昨日クラブ行った」と言うだけで「なんだ行ってないじゃん」と言っている人には敏感に分かってしまう。そういうニュアンスからいろんな事が分かってしまう。言葉って怖いですね。宇多田ヒカルの歌は、基本的に日本語+英語のフレーズちょっと。ただそういう歌だと、時折入る英語のフレーズも「日本語的なフレーズ」になってしまっている可能性あり。それで判断されるのも本人が不本意と思われる(大きなお世話じゃと言われるな絶対)ので、ここでは本人が米国進出の際に作ったアルバム「EXODUS」から一曲「Easy Breezy」を選曲(このためにiTunesStoreで購入。200円なり)

さて、どうなる。

2010年1月27日

アメリカ人から見た外タレの英語力#3 -質問事項の確認-

今回は日本のアーティスト、ゴダイゴと宇多田ヒカルの英語を米人2名に評価してもらうと書いたが、その前に若干整理をしてみたい。

まず質問内容について、今までの流れから英語の歌がいい悪いには様々な要因がありそうなので、質問事項として以下の3つに分類した。
・英語の発音がなってない/まあ許容できるレベル/全く問題なし
 仮にも歌で何かを伝えるなら、最低レベルの表現力を備えてないと、聴く方も嫌だ。これは歌い手の問題。
・メロディが英語の発音に則していない/訛りはあるが、まあ聴ける/全く問題なし
 前にも書いたが、「走る」は標準語では「はしる」の「し」にアクセントが来る。こういうことが(気を遣わないでも)分かってて音符を並べていかないと、自然なメロディにならない。これは歌い手よりも作曲者の問題。そういうノウハウが英語圏に有るかどうか、日本人である自分は分からないが、きっとあるはず。
・歌詞の内容がなってない、あるいは意味がない、幼稚すぎ、意味不明/変な内容だが、まあ言いたいことは伝わる/全く問題はない
 翻訳ソフトで英語の歌詞を作る人はいないだろうが、知ったかぶりで変なスラングを使ってしまったりするのも要注意。これは主として作詞する人の問題。英語圏で住んでいたバックグラウンドがなければ、ちゃんと英語の分かっている人がアドバイスするとか、そういう人が作詞する等、配慮が必要。
・ここまでやって問題がなければ、あとは歌そのものの力とか、声質とか、現地でのプロモーションとかが重要になってくる、はず。

cdjacket02.jpg

次に今回ヒアリングするアーティストだが、ついでなので大幅に広げてみた。ここに書いてある情報は、特記なければ全てWeb上、Wikipediaとか公式サイトとか、Amazonとかから拾ってきたものである。

ゴダイゴ 「はるかな旅へ (Where'll we go from now?)」
ゴダイゴの英語の歌はたくさんあるが、全編英語の歌でないとメロディーに影響があるかもしれない。モンキー・マジックでもよかった? 歌詞が「Born from Egg on a mountain top」じゃ「昔 卵 山の上」みたいな、ヘタウマ調の歌詞かも知れないし、今回は遠慮。作詞は奈良橋陽子、作曲はタケカワユキヒデ。奈良橋陽子は父親が外交官で5-15歳までカナダ居住、その後NYCで演劇を勉強したり、英会話学校を設立したり、ハリウッド映画のキャスティング(The last Samurai、太陽の帝国等)をしているとのことで、歌詞は問題なさそう? タケカワユキヒデ氏は東京外国語大学英米語学科卒業だが、特に海外経験はそれまではなさそうである。

ピンクレディー 「Kiss in the dark」
彼女らが全米進出の際に使用した曲。作詞・作曲:Michael Lloyd(マイケル・ロイド)どういう人かは分からず。まさか日本人ではないと思うが。日本以外で世界40カ国で同時発売され、全米ビルボードでは最高37位を記録。これは、「SUKIYAKI」(坂本九)が1位を獲得した以来の40位以内に入った曲とのことだから、決してヒットしなかったわけではないようだ。かなりセクシー路線で売ったため、日本ではイメージを損なうとの判断でほとんど放映しなかった。この人の場合は、発音がどうか、が問題となるのであろうか。

松田聖子 「All the way to Heaven」「We are love」
「All・・」はイギリスのみ発売(どういう層に売ろうとしていたのかは不明)。作詞・作曲はM.Jay&M.Gruz。一方、「We・・・」は作詞:Seiko Matsuda/作曲:鈴木祥子(知らなかった!)だそうで。もとは日本語の歌のようだが、英語への翻訳は誰がやったのか。クレジットからはSeikoとしか読み取れないが、ということは本人か。外国の人が日本人に作った歌と、日本の人が作って英訳した歌。この2曲を彼らがどう聴き取るか、面白いところだ。「どっちも同じや」なんて言われたら、M.Jay&M.Gruzががっかりするだろう。個人的にはWe are loveというタイトルがとっても心配だ。

Dreams Come True 「THE FIRST DAY WITHOUT YOU」
2004年に、ネットワーク配信で世界的に曲を発売開始したらしい。そのアルバムから上記の曲をセレクト。はじめはTHIS IS IT! YOU'RE THE ONE! I KNEW IT! - 「うれしい! たのしい! 大好き!」 ENGLISH VERSION -をダウンロードしてしまったが、これだとオリジナルが日本語の歌詞なので、後付けされた英語の歌詞が不自然かもしれない。ということで、新たに英語の歌としてのみ作成された上記の曲とした。日本を代表する歌姫・吉田美和の伸びやかな声が彼ら米人たちの耳に届くのか。

宇多田ヒカル 「Easy Breezy」
出生地がアメリカ。もともと米国でデビューすることを考えていたらしい。米国/英国市場に向けて作成されたアルバム「EXODUS」の中からの一曲。「EXODUS」は米ビルボード最高位160位。作詞作曲は本人、だと思われる。ただこの曲、サビがあまりにも「宇多田節」な感じがするので、その辺どうかな、と。

・・・以上、長々とアーティストのバックグラウンドを書いたのは、米人たちに判断してもらう際に我々もアーティストの実力値がだいたいどのくらいか、知っておいた方が楽しい、と思われるからである。永ちゃんもロッド・スチュアートと歌ったらしいが、今回はまあいいや(紅白で歌詞間違えてましたね。NHKも焦ったかもしれないが、当方もずっこけたわ!)。カセットテープに「時間よ止まれ」が入っているが、「Ah Pacific」だけじゃ判断つかないだろうし。

ということで次回、実際に聴かせてみたい。ああ楽しみだ。

2010年1月31日

アメリカ人から見た外タレの英語力#4 -実際に聴かせてみる-

さて、東海岸出身の米人二人(20代)たちに聴かせたのは以下の6曲。びっくりするほど皆さん、その時の日本を代表するビッグネームである。
ゴダイゴ 「はるかな旅へ (Where'll we go from now?)」
ピンクレディー 「Kiss in the dark」
松田聖子 「All the way to Heaven」「We are love」
Dreams Come True 「THE FIRST DAY WITHOUT YOU」
宇多田ヒカル 「Easy Breezy」
これらの曲に順番をつけさせたら、興味深いことに二人とも全く同じ順番をつけた(それぞれの曲に対する評価もかなり同じ)。ということで以下、1位から並べていく。けっこうばっさり切り捨てているかも知れないが、彼らも特に誰かのファンということではなく、全て初めて聴いた曲と言うことで、バイアスのかかっていない、ストレートな意見だと思われる。ファンの方がおられたら、誹謗中傷ではないという事を了解頂きたい。(A)(B)は彼らのコメント、それ以外は自分のコメント、感想。


jpopenglish01.jpg

1位 ゴダイゴ 「はるかな旅へ (Where'll we go from now?)」
「タイトルの言い回しが変。こんな言い方はしない(A)」「これからぼくら、どこいくの」みたいなタイトルが「どこぼくら いくのこれから」みたいに聞こえたら、確かに変か?変かもな・・・。「歌はいいけど、バックコーラスが変な感じ(B)」「なんだろう、こういう歌、昔聴いたことあるぞ、あ、Steely Danだ(B)」 それはちょっと違う気はするが、言いたいことは分かるような気がする。奈良橋陽子の歌詞は、ちょっと不自然な箇所があったようだが、曲調も手伝って聞きやすいからか、全体には高評価。

2位 ピンクレディー 「Kiss in the dark」
「発音は問題なし、メロディも問題なし(AB)」簡単な歌詞だからだろうか・・・?「歌詞がちょっと変だが、日本人と分かっているからそう思うのかも知れない(B)」「でもけっこうすごいこと言ってるんじゃ(A)」しかし採点を見る限り、外人に外注した歌は、米人2人に対しては、非常に良い成果が出ているようだ。

3位 松田聖子 「All the way to Heaven」
「歌手としてはすごく練習したなって感じ」「しかし歌詞のかなり長いパートを、ずっと聞き取れなかった(B)」「はじまっていきなり「ベイビィ」はないだろう。「ベイベ(カタカナで表記して)」ならともかく (A)」これも歌は外人作。ピンクレディーの歌もそうだが、歌詞・メロディともにすごく歌いやすいように配慮されて作られた歌、という感じだ。「I know, You know, What to do」だけで4小節も使っている。カタカナにすると、「アーイノウーー、ユーウノウーー、ワーーットゥーードゥーーーー」これ、米人に聞かせるにはゆっくりすぎないか。

4位 Dreams Come True 「THE FIRST DAY WITHOUT YOU」
「歌詞も発音もいいけれど、すごくひっかかるんだよな(J)」「おれも (A)」「ああ、メロディが変なんだ。すごく狭いレンジの音しか使ってない感じ」「すごく伝統的なJ-POPのメロディだ (A)」 確かにこの歌、いかにもドリカム的なメロディだ。日本語の歌詞の方が似合う感じ。この曲の音域が狭いとは特に思わないが(比較するなら、Snow patrol「Chasing cars」なんてラシドレミファの6音しか使ってない)

5位 松田聖子 「We are love」
「この歌を歌ったの何歳の時?」(28歳)「なんつーか、歌詞が簡単でかわいすぎ。ティーンエイジャーならともかく、30歳の歌う内容じゃない (A)」「タイトルWe are loveもちょっと厳しいよね。歌詞の内容はだいたい分かるけど、大人の歌じゃない(B)」なんとなく、心配していたあたりが如実に表れた感じがする。

6位 宇多田ヒカル 「Easy Breezy」
「まず歌詞が良くない。タイトルも「Easy Breezy Japanesy」みたいな感じで良くない。楽しめない」「タイトルは単なる音の遊びだと思うけど、不適切な表現、過激な表現、あるいは間違った表現があって良くない。かえって時代遅れな感じ (A)。安っぽい」発音は問題ないようだが、内容でかなり厳しい点がついてしまった。このアルバムでは宇多田本人が「歌うのが恥ずかしい」と発言している曲もあるらしく、日本人の自分には分からないが、内容的にはかなりやっちゃった系なのかもしれない。20代の二人にはだめでも、もしかしたらティーンエイジャーにはいける内容なのかも知れない。

ということで次回は、もう少し結果をまとめ、このあたりについて考えてみたい。

2010年2月 1日

アメリカ人から見た外タレの英語力#5 -聴かせてみたまとめ-

前回米人2人に、日本人の歌った英語の歌を聴かせ、その反応を見た。結果は前回のエントリーを見てもらうとして、今回はもう少しまとめてみたい。

大前提 : 歌における英語力とは、発音の良し悪しだけではない。発音、歌詞、メロディの少なくとも3要素から総合的に判断される。

1.発音について:
よっぽどのことがない限り、歌手間でそれほど大きな違いはないように感じた。聖子ちゃんの歌は彼らには一部聴き取りにくいところがあったようだが、発音というのは思ったほど大きな問題にはなっていない。歌と言うことで、アクセントや発音はかなりごまかせてしまうのだろうか。ピンクレディーが健闘したのが意外、といったら失礼ですか。

2.メロディについて:
米国人に受け入れられやすいメロディと、そうでないメロディがあるようだ。今回調べた歌で上位に上がってきたのは、外国人(日本人でないという意味)が作曲した曲(All the way to the heaven, Kiss in the dark)。一方、ドリカムなど我々に聞き覚えのある歌は今ひとつだった。限られた曲数ではあるが、これを考えてみると、あくまで当方の仮説でしかないが、

・日本語環境で育った我々/日本のアーティストは、意識しなくても日本語の発音に向いた、日本語的メロディを作る事が出来るし、その傾向がある。
・英語の歌詞があって、それに合ったメロディを乗せようとしても、その癖はそう簡単にはなくならない。逆にちぐはぐな印象を与えたり、聴きにくい歌を作ってしまう可能性がある。
・しかし、だからといって自分が蓄積し、実績を作ってきたノウハウやカラーを捨てるというのは、それはそれでリスクだ。ドリカムからあのメロディを取り去って、吉田美和の声だけを残したとしたら、それはドリカムといえるかな?

pergrass01.jpg
磨り硝子越しに見たうちの犬。
内容とは直接的にも間接的にも、なんの関係もなし。


3.歌詞について:
現地の人じゃないんだから、いろいろと言われてしまうのは仕方なし。アドバイザーをつけるとかして、不自然な表現がないかをチェックしていくしかない。ただそれで、現地の人のメンタリティを刺激するようなものが作れるのかは別問題。「We are love」みたいにあまりにも一般的な内容の歌だと、リアリティが全くなくて共感するところに乏しい。かといって(知ったかぶりをしたりして)ディテールを詰め込みすぎると、かえってボロが出るというリスクが増大する。そのバランスの取り方が(きっと)難しい。ABBAとかは、その辺がたぶんうまかったのではないか、なんて思ってみたりして。

次回はそういうところを踏まえた、アーティストの立ち位置について考えてみたい。

2010年2月 3日

アメリカ人から見た外タレの英語力#6 -アーティストの立ち位置について-

今回は日本人が米国にでる際の、立ち位置について考えてみたい。ちなみに以下は当方が自分の経験や今回のヒアリング等から発見したりして、勝手に展開する持論である。素人なのは言うまでもない。いいのか、こんなに偉そうに述べて。考えてみれば当たり前のこともあるが、何かありましたらご意見頂きたい。

1.英語の方言は、世界中に広がっている。
 日本での方言とは、関西弁だったり九州弁だったりするわけだが、世界言語である英語は米国内の南部訛り、Bostonあたりを中心とするNew England訛り、英国内の訛り(あ、こっちが本場?)のみならず、ロシア語っぽい英語、スペインっぽい英語、中国っぽい英語などと、方言が世界中に広がっている。そういう方言を意味する言葉はないかも知れないが、そういう方言、ジャンルそのものは存在する。

2.英語圏を考えた際に、日本は辺境
 主語・動詞の並び方が全く違ったり、LとRの発音がなかったり、文字がアルファベットの系統でなかったりとかを考えると、英語と日本語は大きくかけ離れている。少なくともフランス語やスペイン語からは遠く離れている。言葉が違うと言うことは文化も違うと言うこと。松田聖子であれドリカムであれ、日本市場を制覇した著名アーティストだとしても、米国に行った瞬間に立ち位置は米国市場のフェアウエイではなく、思いっきりラフ、すなわちド田舎から出てきた一人になってしまう。

3.米国の音楽市場は、日本同様、あるいはそれ以上に細分化されている
 米国にいた3年ちょっと、ブリトニーが歌っているのをテレビで見たことは一度もない。ヒップホップも見なかった。ティーンズ向けアイドルもだ。どこで彼らを見れるのか分からないが、市場は存在する。日本のヒップホップ系だってテレビで見たことはないが、感触としては米国の方が細分化しているように感じる。ボストン地区のFM局は25くらいある。LAだと30以上あった。日本だと首都圏でもせいぜい5-6局。日本レコード大賞は全部で15部門あるが、グラミー賞は110。いくら世界的に影響力があるといっても110ですよ110・・・。

つらつら考えると、どのあたりをどう攻めるのか、それも広めでなく狭いところをピンポイントでどう攻めるのか、がポイントのような気がする。複数の市場をぼやっと薄めに攻めるのは、コスト的にもきっとおいしくない。日本で人気があるからと言って、ポップスの王道的なところで攻めても表現力ではネイティブに勝てないし、ライバルが多すぎる。
(なんてなことを考えると、ただレコード出しただけのアーティストを見ると、アメリカで売るつもりがなくて、ただアーティストの箔をつけたくてアメリカでレコード出してみました、なんて人もいるんじゃないかな、なんて思ってみたりして。)

persetsubun01.jpg
そろそろ節分ですね、ってまた関係のない画像。
マメはぶつけてないです。

とかとか考えて前回聴いたアーティストを見返してみると、
・松田聖子は王道狙い。しかし王道はライバルも多い上に、英語力でも壁が高い。王道ってのは、人気が出てから攻めるところなのではないだろうか。でも一度日本市場を独占した人が市場のはじっこで勝負を始めるというのは、けっこうプライドを傷つけたりするのでは?と想像(しかもこの人の場合はデビュー当時から超大型新人だったし。)
・ドリカムも曲としては王道感あり。しかし、狙い目がどこか、ちょっと見えにくいか? 見えにくいからと言ってターゲットを絞るのも難しいだろうな。アメリカのOLのつもりで曲が書けるか?(無理だな・・・) やっぱり、全世界共通の愛とか失恋あたりまででまとめるのが無難なのか。この人の場合は、やはり声の良さで勝負したかったんだろうと想像されるが、この人の声の良さを生かせる歌が日本的で、米国人にはいまいち受けてないような気がする。どうやら、声の良さってのにも国籍がある、そんな気がする。
・宇多田が一番ターゲットを明確に絞って曲を作った。ターゲットは明確だったが、やりすぎてしまった(みたいだ)。スラングは流行廃れが早いので、使うのは難しい。特に10代の流行語はさらに早いだろう・・・。昔米国に住んでいたとしても、現在住んでいない人が攻めるところとしては、リスクが大きいな。ちなみにあちこちのサイトや掲示板で見てみると「Easy Breezy Japanesy」は「すぐにひっかかる日本人」的な意味で使われているそうな。別の曲では「あんたのことなんざ知ったこっちゃない」的な表現もあるそうで、そういう曲調ならば米人も聴いてていい気分はしないわな。

そんな中で、実は今回聴いてみた人よりも米国で成功している人がおりまして。Puffy AmiYumi。自分らがキャラクターになったアニメが全米放送。NewYorkのブロードウェイに高さ5メートルの顔看板も貼られた日本人はこの人たちだけだろう。彼女らはどういうところが受けたのか? 次回、また素人なりに展開してみたい。

2010年2月 6日

アメリカ人から見た外タレの英語力#7 -Puffy AmiYumiの成功を考える-

「2000年、パフィーは米国テキサス州で行われたロック・フェスティバルSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)に出演した。これは、有望な新人を売り込むショーケース・ギグに類する催しであり、ソニーが擁する日本人アーティストの米国進出のテスト・ケースとして、「本場」のアーティストには見られない個性を持ち、競合を避けられるパフィー達が送り込まれたのである。このSXSWで手応えを掴んだパフィーは、2002年に は初の北米ツアーを行い、ソニーの現地レーベルとカナダのBar/None Recordsから、『SPIKE』の現地版と、ベスト盤である『An Illustrated History Of Puffy AmiYumi』を発表し、一定の評価を得た。2004年には、ツアーを通じてカートゥーン・ネットワークの重役がパフィーの存在を知った事から、同局の『Teen Titans』の主題歌を担当、更にパフィーをモデルにしたアニメ『Hi Hi Puffy AmiYumi』 が制作され、全米で放送された。この番組は低年齢層から高い支持を得て、CN開局以来の高視聴率を記録した。 (Wikipedia)」

2002年「An Illustrated History Of Puffy AmiYumi」は、2曲以外は日本語。「That's The Way It Is/Kore ga Watashi no Ikirumichi」「Electric Beach Fever/Nagisa ni Matsuwaru Et Cetera」など、有名どころが並んでいる。

上記Wikipediaで参考になるところとしては、
・競合を避けるポジションをまず選んだ。Sonyとしては、アーティストありきでなく、米国でいけそうなアーティストとしてパフィーを選んだ。アーティストAがアメリカ進出したいからと、その方法をあれこれ考えるよりは、手持ちのアーティストの中からいけそうな人を選ぶ方が、はるかに自由度が高い。
・いきなりレコード発売等でなく、場所的にもまず限定されたところから始めた(後述します)。感触を見るという点では、このようなイベントは良かった。だめならCD出す必要もないし。つまりアーティストの選定も含めて、CD出すまではいつでも引き返せる状態で感触を見ている。もしかしたら同イベントには、別の日本人アーティストも試しで参加していたかも知れない(感触良くなかったから出たと言っていないだけで)。
・英語で歌うことを前提としていない(何かを伝えようとしていないとも言えるのか。むしろその無欲さというか、気の抜けっぷりがかえって良かったのか)。

pucchin01.jpg
巨大プッチンプリン。牛乳が2本だっけ?とにかく巨大。

で、これだけでは分からないので、米国Amazonにおける、上記CDへのCustomer Reviewを読んでみよう。「Puffy AmiYumi set the standards of great music」「Puffy Amiyumi are Yummy Yummy!」「Pure Pop Heaven」などタイトルが並んでいるが、その下のコメントをざっと総合するとこんな感じになる;
・曲によって「あ、これはビートルズ」「これはthe Who」みたいなところは皆分かっている。
・彼女らが楽器も演奏せず、自分で曲も作らず、だいたいユニゾンで歌っていることも分かっている(まあそれは誰でも聴けば分かるが)。
・もちろん、日本語で歌っているので歌詞の内容を分かりながら聴いているわけではない。歌詞サイトには英訳詞もあるが、たいした内容ではない。それを言ったら日本語の内容も「どうすんじゃい」的なものが多いが(止まり木にあのハリソンフォード)。歌詞の内容についてのコメントは、Amazonには無いと言って良い。
・がしかし、その雑食的なところをむしろ楽しんで聴いている。オリジナリティがないというコメントもあるが、それよりはそういう様々な要素を取り込んでまとめ、曲としての、あるいはアルバムとしての完成度を高めているところを楽しんで聴いている人が多いようだ。で、曲がともかくキャッチーだといろんな人が言う。
 歌詞の内容はさほど気にせず、曲そのものを楽しむ - なんだ、自分がPaffyの音楽を聴くのと全然変わらないじゃないか。言葉の壁があるのに、日米間で聴き方が変わらない。これはちょっと驚き。しかし、それが歌なんだ、音楽なんだと言われたら、そうかもしれない。しかし、それじゃわざわざ英語圏用に英語で歌う必要、ないじゃないか。

・・・このあたりは、Paffyを米国に送ることを決めたソニーの作戦勝ちのような気がしている。
・こういう元ネタがある音楽は「ああ、あれね」みたいな感じで、オリジナルだけで勝負する純日本的なJ-POPよりも英語圏の人には耳あたりがよい。ドリカムが切々と歌うより、はじめの引っかかりは遙かに多いはず。
・歌詞に強いメッセージが無い、と言い切ったら失礼かも知れないが、さくっと聞ける内容。一生懸命英訳しなくても、音楽そのものを楽しめる。きっとテキサスのイベントでも、英語では歌ってなかったと思う。その方がいいものが伝わるとPuffy側は分かっていた(たぶん)。その後出したCDだって日本語メイン。彼女らの音楽を、英語で伝える必要はなかったのだろう。米国のPuffyファンも、「英語で歌ってくれ!」なんて期待はしていないのでは。
・脱力系のデュオというのが今まで米国になかった。J.Loにせよビヨンセにせよ、みんなナイスバディでセクスィーな人たち。彼女らはフェアウエイ上の人たちだが、それにしてもPuffyみたいなのは、ま、確かにいなかったよな・・・。知らないだけかも知れないが。

と、つらつら考えるに、米国におけるPuffyの成功は、チャレンジというよりは、遙かに確度の高いトライだった、と言ってもいいのではないだろうか。まさか自分たちのアニメができて全米で放送されるとまでは考えていなかったとは思うが、かなり手応えをつかんでのCD発売だったろうと思う。

ところで、米人2人に言わせると、ドリカムとか宇多田とかはおいといて、一番我慢できないのは日本の街角で流れている日本語の歌に混じって流れる英語の歌詞なのだそうだ。次回は、そのあたりを詳しく二人に聴いてみたいと思う。

2010年2月 9日

アメリカ人から見た外タレの英語力#8 -J-Popの英語について-

さて米人二人に言わせると、日常生活で聞こえてくるJ-Popに入ってくる英語のフレーズは、時折非常に心の平安を乱すものである、とのこと。今回はこのあたりについて考えてみたい。
そもそも、なぜ日本語の歌に英語のフレーズが入っているのか。まず思いつくのは、


  • 英語のフレーズを入れることで、かっこよさ、クールさ、おしゃれその他を表現できる。日本人が英語に対して憧れに近い感情を持っており、英語のフレーズを入れることで歌詞の格が上がる、といったら言い過ぎだろうが、ともかく、日本語オンリーよりも良くなる、と考えている。ただこれ、今回Yahoo!Musicあたりで歌詞をあれこれ見てみたのだが、英語が入っている割合は思ったほど多くはなかった。以前よりも日本語オンリーの歌詞の割合が多くなっているようだ(あくまで印象)。個人的には好ましい傾向だと思うが。

  • 知人から指摘を受けたのだが、英語にすることで表現をあいまいにできる。「愛しています」というよりも「I love you」という方が婉曲的表現である。なるほど。それはあるかも知れない。逆に日本語では言いにくいことを、(婉曲的だからこそ)英語ならストレートに言える、ということもあるかも知れない。

pucchin02.jpg
自重でここまでつぶれた。しかし形は見事なプッチンプリン。
子供3人、大人4人であっという間になくなる。

それでは、なぜこういう英語のフレーズが彼らを不快にするのか。彼らと話をしながら考えてみた。
・発音やアクセントがめちゃくちゃ
 先日彼らに聴いてもらった歌は英語圏に向けた歌だったが、日本で流れている歌は日本人に向けた歌。すなわち、英語として日本人に認識されればOKで、それ以上は必要ない。米人にちゃんと伝わるように歌うのも大変なのに、何の努力もしなかったら、そりゃ良く伝わらないわな。
・歌の中に分かる言葉が突然出てくる。それも時には間違った文法で、時にはキュートすぎ(Miss youとか、Stay with meとか、内容がシンプルすぎ、というか幼稚)。例:「すぐに会いたくてもう一度oh baby(西野カナ Dear...)」
・英語だけでは意味が通らない。前後の日本語の歌詞と合わせた一文で意味が成り立つということは何となく彼らに分かるが、それがどういう意味か分からない。(だからよけいに気になる)
ま、実際には必ずしも英語のフレーズと前後のフレーズがまとまって一文になっている、ということはなさそうだ「約束はいらないLove Forever(清水翔太×加藤ミリヤ)」。

ここで突然Case Study:
知っている単語が歌の中に突然出てきて、それが文法的にも間違っていたらどう思うか。とある日本語の歌で、英語の部分を日本語に、日本語の部分を伏せ字にすると、米国人の気持ちがある程度分かるはず。こういう歌を耳にしたときにどう思うか、みんなで考えてみたい。

XXXXXXXX XXXXXXX
XXXXXXXX XXXXXXX
彼女は「美人 顔」を持つ 彼女は「美人 顔」を持つ
XXXXXXX XXXXX
彼女は「美人 顔」を持つ 彼女は「美人 顔」を持つ
XXX XXX
ニューヨーク ニューヨーク XXXX XXXXX
ニューヨーク ニューヨーク XXX XXXXX

単語一つ間違えなければ「彼女は美人だ」になったのだが・・・・。日本人に向けて作った歌なら、文法なんて別にどうだっていいわな・・・・

ところで、英語と日本語を比べると、日本人は英語に対する憧れのようなものを持っているのではないか、それで日本語の歌に英語のフレーズが入る、と書いた。それならば、英語と別の言葉はどうなのか、よく英語と米語は違うと言うが本当なのか。最近は日本のアーティストがアジアで人気と聞くが、だとすると、現地の歌に日本語のフレーズが入っていたりするのか。次回はそのあたり、すなわち歌から見る言語間のヒエラルキーについて調べてみたい。

2010年2月11日

アメリカ人から見た外タレの英語力#9 -言語間のヒエラルキー

今回は歌における、言語間のヒエラルキーについて考えたい。今までの流れで、日本語と英語の間には、明確ではないにしろヒエラルキーのようなものがあり(言語間かも知れないし、文化間かもしれないが)、英語に憧れて英語のフレーズを日本語の歌に入れたりするのではないか、と書いた。実は英語・日本語間だけでなく、それ以外にも今までに同様のことを感じる瞬間があった。

米国の人も、ときどきフランス語のフレーズを会話に挟むことがある。「Voila(ほらね)」みたいな感じで。フランス語は英語よりもヒエラルキーが上なのか?
米語と英語の間にもヒエラルキーがありそう。アメリカの漫画を見ていると、時々米国人女性が英国人の発音にうっとりすることがある。本当にそうなのか?
現在日本人アーティストが向かう先は、米国よりもむしろアジア。浜崎あゆみなんか、香港などではかなり好調らしい(日本のネットニュースによれば)。日本人芸能人のニュースはあちらの国でも報道されているらしいし。しかし、だとすると、香港の歌に日本語のフレーズが入っていたりするのか。

今回はこのあたりを、例によって米人に話を聞いたりしてみた。順を追って展開していきたい。

treeskin01.jpg
木の皮。またも関係ないか・・・。

1.英語とフランス語
 米人たちによると、わずかながらフランス語を上に見る傾向は、特に文化人のような人に見られるとのこと。かつてはフランスが文化の中心であり、それをリスペクトする心はある。ただし、遠い国だった昔に比べ、現在は海外旅行も楽に行けるようになり、インターネット等により世界がフラットになっていることから、昔ほどの格差があるようには感じられない、とのこと。

2.英語と米語
この傾向は、特に米国人女性にはあるとのこと。

・英国の方が古い歴史を持つ
・英国は紳士(Gentleman)と騎士(Knight)の国である
・英国の発音はよりフォーマルで上品である。米語はけっこうカジュアルに、省略した発音等をすることもあるが、英語はしっかりと発音する。

ということで、英国の発音を持つ男性に声をかけられると言うことは、米国女性にとっては非常に育ちのいい人が自分への忠誠心を表明するような、王子様とお姫様ではないかもしれないが、そういうシーンを想起させる、いわゆる一つの典型的なあこがれのシチュエーションなのだそうだ。なるほど、それなら分かる。いや、分かる気がする。

3.英語とスペイン語
現在、米国ではヒスパニック系、中南米から移ってきたスペイン語を話す人たちが急増中。彼らの中には英語を話せない人も多く、企業・学校でもスペイン語への対応が迫られている。将来的にはヒスパニック系が白人の人口を追い越してしまう可能性も高く、米国における一つの問題になりつつある。映画だと、例えばターミネーターIIではシュワちゃんが「Hasta la Vista, Baby」(See you againの意味だが、文脈的には「あばよ」てな感じか?)などとしゃべらせている。今回話した米人二人にとって、スペイン語はエキゾチックな言葉として認識されているようだが、ヒエラルキーがあるのか、という問いには答えにくそうだった。ヒエラルキーが無いのかも知れないし、別の理由があるのかも知れない。

4.日本語とアジア圏
本当に日本語の歌が香港や韓国、台湾などで人気であれば、中国語・韓国語と日本語の間に何らかのヒエラルキーが存在するはず。で、例えば中国語の歌の中に、日本語のフレーズが入っていてもいいはずだ。ということで、台湾・香港Yahoo!のYahoo!Musicで歌詞サービスを調べてみた。韓国Yahoo!は調べず。漢字なら何となく読めるが、ハングルは読めないので。それにしても俺、ヒマだな。

4-1 yahoo!台湾
歌詞を調べようとすると歌購入みたいなところに飛んでしまうので、台湾の歌詞サイト「歌詞帝国」に移動。片っ端から歌詞を当たってみるが、日本語の歌詞はなし。ただし、
・中国語の歌の中に英語のフレーズは入る。
例: 楊丞琳( Rainie Yang ) 「女生我最大」の一部
怎能不~愛妳 BABY
怎能不~挺妳 BABY
IT'S FOR GIRLS ONLY
女生 我最大 別懷疑
元リンク。このフレーズの入れ方、なんつーか、日本の歌と変わらない感じがする。

・日本語歌詞が入った歌は発見できなかったが、日本の歌に中国語の訳詞を載せた歌は発見。
王心凌( Cyndi )「心電心(專輯同名歌曲)」
詞:姜憶萱
曲:Orange Range
手心貼手心 一起 心電心
元リンク。上記の部分、「ぼくらはいつも以心伝心」と歌っているはず。

・台湾のサイトでは、ジャンルが大きく3つ、すなわち中国語の歌「華語歌手」英語の歌「西洋歌手」日本・韓国の歌「日韓歌手」に分かれている。日本の歌手は濱崎歩、HystericBlue(暴暴藍)、浜田省吾など多数を記録。歌手の紹介から歌詞まで全て日本語。台湾の人は日本語読めるのか?
・ちなみに韓国語の歌は韓国語で書いてある。台湾の人、ハングル読めるのか?
4minute( 포미닛 )
머리부터 발끝까지 Hot Issue ho!
내 모든 것 하나하나 Hot Issue
모두 다 Take it control (모두 다 Take it control)
元リンク。もうこの英語フレーズの入れ方、思うに全アジア共通なんじゃないだろうか。

4-2 香港
香港も基本的には同じ。中国語の歌に英語が入ることはあっても日本語は入らず。
・ただ、トップページの女性歌手一覧には現地歌手に混じって濱崎歩、Aikoなんかも入っているし、外国人ページで安室奈美恵がCeline DionやAlicia Keysと並んでいるのも壮観だ。
・日本語の歌には、ローマ字による歌い方、中国語による訳詞がいちいちついている。

以上総合すると、日本語の歌詞が現地の歌に混じることはなく、むしろ英語フレーズが入っているという状況は日本と同じ。歌を調べる限り、英語が上位に来ているという状況は変わらず。アジアの歌と英語圏の歌の間に、日本語の歌が入っている、というような状況には見えない。
ただ、日韓の歌に人気があるという状況は嘘ではないようで、歌から判断する日本語のポジションは、いわゆる英語-日本語のような関係ではなく、日本語-韓国語のような横並び、良く行って日本語-フランス語のような、若干斜め上のような関係なのではないか、という気がした。

次回は、米国における土地の大きさと楽曲のプロモーションについて考えてみたい。

2010年2月21日

アメリカ人から見た外タレの英語力#10 -米国の広さについて-

今回は、地理的な米国の広さと、音楽ビジネスへの影響について考えてみたい。

1.土地の広さについて
東海岸のBostonから西海岸のLAまで、直線距離で4300km。これは東京からカンボジア・プノンペンまでに相当する。プノンペンでどんな歌がはやっているか、知っている人はいるのだろうか?また面積比で考えても、米国の面積は日本の約25倍とされる。

bigamerica01.jpg

2.州ごとの人種の違いについて
地方によって、住んでいる人たちがかなり違う。人種についても,これだけ違う。
Massachusetts(Bostonがある東部)
81.9% 白人
6.8% ヒスパニック
5.4% 黒人
3.8% アジア

ミシシッピ州(南部)
61.4% 白人
1.4% ヒスパニック
36.3% 黒人 黒人がすごく多い
0.7% アジア

アイダホ州(ロッキー山脈近く、北西部)
88% 白人 白人が多い
7.9% ヒスパニック
0.4% 黒人
0.9% アジア

カリフォルニア州(西海岸)
44.2% 白人
34.9% ヒスパニック ヒスパニックが多い
6.0% 黒人
12.0% アジア人

人種が違えば言葉も違う。スペイン語のFM放送、Boston界隈ではほとんど聴かないが、西海岸では1/4くらいはスペイン語。FMに関しては全国区の放送はない(少なくとも当方は知らないし、他の局とのタイアップ企画も聴いたことはない)。街や通りの名前だって、東海岸だとHampshire「何とかシャー」のような、英国みたいな名前が多いが、西に行くと「Santa Margarita」(サンタマルガリータ)みたいなスペイン風の通りが多いし。東京とプノンペンで流行している歌の違いが分からなくても、東京-大阪くらいなら分かるだろうか?しかし、大阪に住んでいる人が人種も宗教も違う人だったとしたら?

要は何が言いたいかというと、ずっと遠くの州で何がはやっているなんて、米人だって誰も知らないということ。Boston近郊で走り回って、聞こえてくるFMはせいぜい隣の州の局まで。全国区のFM局なんてないが、流行が違うであろうことだけは分かる。よくアメリカンTOP40とか日本では流れているが、米国にいると非常に実感のないトレンドに思える。自分が聴いているFMとは全く違う歌がランクインしている。日本を含めた東アジア全体(韓国・中国・ベトナム・タイその他)のトレンドをまとめて、何が流行しているかを知ったとしても、自分のなじみのある歌とはまったく違うはずである。アメリカ合衆国はそのものは大きな国だが、州で交通ルール等が違っていたりして、我々が思っているよりは各州が独立した、州の集合体のようだ。音楽に戻ると、当方の感触としては、米国で音楽を聴いている人は、FMなら全国区の流行ではなく地元の流行を聞かざるを得ないし、ネット等であれば自分の好きなジャンルによりフォーカスして聴いているように感じる。

  • そういう状況で日本のアーティストが自分の歌を米国で流行させたいと思ったときに、全国区で始めるというのはまあないな、というのは分かる。州ごとにプロモーションで回るのか?いや、それは無理だ。アメリカに骨を埋めるつもりなら、それはありかも知れないが。
  • まず攻める州を決めること。人口が多くて、自分の歌を流してくれそうなFM局がある場所。日本と違い電車よりも車主体の通勤形態になっている米国では、FMの需要性は日本よりも圧倒的に高い(調査をしたわけではないが、放送局も多いし、感覚的にそう思う)はず。
  • あるいは、iTunes Storeのような場所。地理的な問題は解決できるが、広告料はどのくらいかかるのだろうか。ただ、新人を知ってもらう際には、ああいう「楽曲を取りに行く」場所よりもFMみたいに「流れてくる」場所の方が、不特定多数の人に「知ってもらう」機会は多いのではないかと思う。Amazonなどの「推薦」「他の人はこういうCDを買ってます」的な表示も、まずは実績あっての話だろうし。
  • さらに予算があればMTVみたいなところで全国区放映するのだろう。日本を制覇したような人なら、それもできるだろう。

いずれにせよ、それも英語圏の人に聞きやすく、受け入れられやすい曲があっての話だが。それだけは間違いない。

次回は、非常に当たり前な話になってしまうのだが、今までいろいろと書き殴ってきたことのまとめをしたい。

2010年11月17日

ふとんが恋しい季節になりました

fallleaves01.jpg
布団から出るのが辛い季節になった。布団ラブ。どうしてこんなに気持ち良いのだろう。
ところで、以前住んでいたBostonは最低気温-20度になることもある場所で、家は全館暖房になっている。すなわち寝室もトイレも風呂も暖かいのだ。それがどうなるかというと、布団から出ることがまったく苦にならないのだ。眠いのはともかくとして、寒いから出たくない、という気持ちが全くない。かけ布団なんて、年中通して薄っぺらいの1種類緒しか売ってない、くらいの勢いだ。総合的に、日本の冬の布団ラブ度を100とすると、あちらでのラブ度は5くらい、か? こんなに布団をいとおしく思う気持ちをはぐくむなんて、日本人に生まれたことをありがたく思うべきだろうか。ああ明日も冷え込みそうだ。

2012年1月14日

名盤について考える#2

ここで、被験者である我が長男のスペックについて、確認しておこうと思う。
1999年生まれ、男。2005(小1)〜2008(小4)はアメリカ在住。現地校に通っていたので、
英語の歌はだいたい分かる、そうな。アーティストの発音等によって理解度は
変わってくるらしいが、6割〜9割は分かるとのこと。理解に関する障害は
ボキャブラリー(小4でほぼ止まっているので)。なお、Lady GagaとGuns 'n Rosesは
最も聞き取りやすい(!?)そうだ。

goodmusic02.jpg

次に、長男が好きなアーティストを、好きな順に並べさせてみたら以下の通り;
Jack's Mannequin
Bon Jovi
Nickelback
Guns 'n Roses
Coldplay
Paddle of Mudd
Oasis
Jet
・・・・80年代、OKなんじゃ・・・。ま、このあたりは自分の家にある影響が
大きいと思うので、これからどうなるかはお楽しみ、ということで。
・それと今回のトライ、「名盤とはなんぞや?」で始まったので
アルバムを聴かせてみることにしてみるが、シングルカットした曲についても
できるだけ印象を聞いてみることにしよう、と思う。
ということで、これからちょくちょく進めていこう。

2013年5月15日

超常なる力で宙に浮くことを考える

yoda1305i.jpg
まずは先日見た夢の話から。呪われた場所みたいなところに入り込んだ途端に体が
動かなくなったと思ったら、いきなり体が宙に浮かび上がったのだ。
どこかへ連れてかれる?と思って悲鳴をあげたところで夢は終わった。
まあ怖い夢ではあったが、変だなと思ったのは、宙に浮かんでいる時、自分の体は
何かが下から支えているように感じられた事だ、あたかも座っている椅子ごと空に
浮かぶように。
まあ夢だから自分の脳がそれ以上の状況を想像できなかったのだろうが、
それはおいといて、例えばヨーダでもアキラでもバビル二世でも恐怖新聞でもいいのだが、
そういう力が存在するとして、その力が自分を宙に浮かす時、自分はそれをどう
感じるのだろうか。
吊り下げられる感じ?持ち上げられる感じ、あるいは重力が中和された、自由落下状態か
(なんだかこれが一番怖そう)。
なんて、存在するかどうかも怪しいものを想像したって分かるはずがないのだが、
いろんな映画や漫画で飛ばされている奴らが何を感じているかなんて想像を始めると、
ただいたずらに時間が過ぎて行くのであった。

2013年8月11日

名盤について考える#5(長文)

bestalbum1308s.jpg


一年ほど前に、長男に「巷で名盤と言われているロックの名盤を聴かせて、反応を見る」という企画を立ち上げて、あれこれ聴かせてみた。現在、どうなっているかというと、止まってしまっている。というのは、名盤と言われるものに対する長男の反応が総合的にあまりにも悪く、やめてしまったのである。現状あえて言うなら、
・親と子どもの好みに関する関係は、ある程度はありそう。少なくとも父が聴いて「これはどうかな・・・?」と思ったものは、ほぼ長男にもヒットしない。
・長男にのみヒットするものは、NirvanaとかMetallicaとか、比較的新しいもの
・Bob Dylanとか、Bruce Springsteenとか、父的にヒットしない古いものには見向きもしない
・で、巷で言われる名盤というのはそういう60-70年代の古いアルバムばかりで、長男ヒット率があまりにも低く、いやになってしまった。
・その割には、ついでに借りたり買ったりしている、名盤と紹介されているわけではないアルバムには食いつき良い(この前のAlicia Keys良かったよ!あとNoel Gallagharも!)
・調査用アンケートも、そういうことでやらされ感が大きく、やめている。新しい音楽を聴いてみることの妨げになったらあかん。そうでなくても(ほとんど)ヒットしない曲を延々聴かせているわけで。
考えるに、
・長男は長男の、自分は自分の時代を生きている。その時代に自分や長男が音楽を聴いて、それが集まって流行になる。流行になった音楽の中で、時代に流されなかったものだけが名盤になって残る。「個人が聴く-流行」というのはプロモーションとかもあるので必ずしも一方向ではないが、少なくとも個人個人から支持されない音楽は流行にならないし、ましてや名盤にはなり得ない。「名盤だ」という理由だけで個人にヒットする、という逆の流れは考えにくい
・ましてや名盤だからと違う時代の人間に聴かせることは、(その時代の支持されない音楽よりはマシとはいえ)相当本人にヒットする何かがないとダメなんだろうな
・なんてつらつら考えるに、名盤だからと検証もしないで長男に聴かせている自分はどうなのか、という気がしてくる。少なくとも「これいいぞ」くらい言うのが親の努めじゃないのか。
・結局名盤100なんて、自分の知らないどっかのおじさんが「これ、初めてテープ逆回転させた!」「史上初のコンセプトアルバム!」なんて理由で選んだりしているのもあるわけで。それは歴史上のマイルストーンかもしれないし、それを聴いて知識を広げることには意味があるだろうが、自分の好きなアルバムを探そうという時には、このアプローチでは決してないのだろう。
ということで今まではランダムに選んだりしつつ(なかば強制的に)聴かせていたが、今後はもう少し自然に聴かせていこうかな、なんて思ったりしている。また名盤でなく、名曲というくくりにしたら何か出てくるかもしれない。

About 法則

ブログ「Thoughts; sinking bubbles」のカテゴリ「法則」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。新しい順番に並んでいます。

前のカテゴリは作品です。

次のカテゴリは生活です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type