前回米人2人に、日本人の歌った英語の歌を聴かせ、その反応を見た。結果は前回のエントリーを見てもらうとして、今回はもう少しまとめてみたい。
大前提 : 歌における英語力とは、発音の良し悪しだけではない。発音、歌詞、メロディの少なくとも3要素から総合的に判断される。
1.発音について:
よっぽどのことがない限り、歌手間でそれほど大きな違いはないように感じた。聖子ちゃんの歌は彼らには一部聴き取りにくいところがあったようだが、発音というのは思ったほど大きな問題にはなっていない。歌と言うことで、アクセントや発音はかなりごまかせてしまうのだろうか。ピンクレディーが健闘したのが意外、といったら失礼ですか。
2.メロディについて:
米国人に受け入れられやすいメロディと、そうでないメロディがあるようだ。今回調べた歌で上位に上がってきたのは、外国人(日本人でないという意味)が作曲した曲(All the way to the heaven, Kiss in the dark)。一方、ドリカムなど我々に聞き覚えのある歌は今ひとつだった。限られた曲数ではあるが、これを考えてみると、あくまで当方の仮説でしかないが、
・日本語環境で育った我々/日本のアーティストは、意識しなくても日本語の発音に向いた、日本語的メロディを作る事が出来るし、その傾向がある。
・英語の歌詞があって、それに合ったメロディを乗せようとしても、その癖はそう簡単にはなくならない。逆にちぐはぐな印象を与えたり、聴きにくい歌を作ってしまう可能性がある。
・しかし、だからといって自分が蓄積し、実績を作ってきたノウハウやカラーを捨てるというのは、それはそれでリスクだ。ドリカムからあのメロディを取り去って、吉田美和の声だけを残したとしたら、それはドリカムといえるかな?
磨り硝子越しに見たうちの犬。
内容とは直接的にも間接的にも、なんの関係もなし。
3.歌詞について:
現地の人じゃないんだから、いろいろと言われてしまうのは仕方なし。アドバイザーをつけるとかして、不自然な表現がないかをチェックしていくしかない。ただそれで、現地の人のメンタリティを刺激するようなものが作れるのかは別問題。「We are love」みたいにあまりにも一般的な内容の歌だと、リアリティが全くなくて共感するところに乏しい。かといって(知ったかぶりをしたりして)ディテールを詰め込みすぎると、かえってボロが出るというリスクが増大する。そのバランスの取り方が(きっと)難しい。ABBAとかは、その辺がたぶんうまかったのではないか、なんて思ってみたりして。
次回はそういうところを踏まえた、アーティストの立ち位置について考えてみたい。