« 2010年1月 | メイン | 2010年3月 »

2010年2月 アーカイブ

2010年2月 1日

アメリカ人から見た外タレの英語力#5 -聴かせてみたまとめ-

前回米人2人に、日本人の歌った英語の歌を聴かせ、その反応を見た。結果は前回のエントリーを見てもらうとして、今回はもう少しまとめてみたい。

大前提 : 歌における英語力とは、発音の良し悪しだけではない。発音、歌詞、メロディの少なくとも3要素から総合的に判断される。

1.発音について:
よっぽどのことがない限り、歌手間でそれほど大きな違いはないように感じた。聖子ちゃんの歌は彼らには一部聴き取りにくいところがあったようだが、発音というのは思ったほど大きな問題にはなっていない。歌と言うことで、アクセントや発音はかなりごまかせてしまうのだろうか。ピンクレディーが健闘したのが意外、といったら失礼ですか。

2.メロディについて:
米国人に受け入れられやすいメロディと、そうでないメロディがあるようだ。今回調べた歌で上位に上がってきたのは、外国人(日本人でないという意味)が作曲した曲(All the way to the heaven, Kiss in the dark)。一方、ドリカムなど我々に聞き覚えのある歌は今ひとつだった。限られた曲数ではあるが、これを考えてみると、あくまで当方の仮説でしかないが、

・日本語環境で育った我々/日本のアーティストは、意識しなくても日本語の発音に向いた、日本語的メロディを作る事が出来るし、その傾向がある。
・英語の歌詞があって、それに合ったメロディを乗せようとしても、その癖はそう簡単にはなくならない。逆にちぐはぐな印象を与えたり、聴きにくい歌を作ってしまう可能性がある。
・しかし、だからといって自分が蓄積し、実績を作ってきたノウハウやカラーを捨てるというのは、それはそれでリスクだ。ドリカムからあのメロディを取り去って、吉田美和の声だけを残したとしたら、それはドリカムといえるかな?

pergrass01.jpg
磨り硝子越しに見たうちの犬。
内容とは直接的にも間接的にも、なんの関係もなし。


3.歌詞について:
現地の人じゃないんだから、いろいろと言われてしまうのは仕方なし。アドバイザーをつけるとかして、不自然な表現がないかをチェックしていくしかない。ただそれで、現地の人のメンタリティを刺激するようなものが作れるのかは別問題。「We are love」みたいにあまりにも一般的な内容の歌だと、リアリティが全くなくて共感するところに乏しい。かといって(知ったかぶりをしたりして)ディテールを詰め込みすぎると、かえってボロが出るというリスクが増大する。そのバランスの取り方が(きっと)難しい。ABBAとかは、その辺がたぶんうまかったのではないか、なんて思ってみたりして。

次回はそういうところを踏まえた、アーティストの立ち位置について考えてみたい。

2010年2月 3日

アメリカ人から見た外タレの英語力#6 -アーティストの立ち位置について-

今回は日本人が米国にでる際の、立ち位置について考えてみたい。ちなみに以下は当方が自分の経験や今回のヒアリング等から発見したりして、勝手に展開する持論である。素人なのは言うまでもない。いいのか、こんなに偉そうに述べて。考えてみれば当たり前のこともあるが、何かありましたらご意見頂きたい。

1.英語の方言は、世界中に広がっている。
 日本での方言とは、関西弁だったり九州弁だったりするわけだが、世界言語である英語は米国内の南部訛り、Bostonあたりを中心とするNew England訛り、英国内の訛り(あ、こっちが本場?)のみならず、ロシア語っぽい英語、スペインっぽい英語、中国っぽい英語などと、方言が世界中に広がっている。そういう方言を意味する言葉はないかも知れないが、そういう方言、ジャンルそのものは存在する。

2.英語圏を考えた際に、日本は辺境
 主語・動詞の並び方が全く違ったり、LとRの発音がなかったり、文字がアルファベットの系統でなかったりとかを考えると、英語と日本語は大きくかけ離れている。少なくともフランス語やスペイン語からは遠く離れている。言葉が違うと言うことは文化も違うと言うこと。松田聖子であれドリカムであれ、日本市場を制覇した著名アーティストだとしても、米国に行った瞬間に立ち位置は米国市場のフェアウエイではなく、思いっきりラフ、すなわちド田舎から出てきた一人になってしまう。

3.米国の音楽市場は、日本同様、あるいはそれ以上に細分化されている
 米国にいた3年ちょっと、ブリトニーが歌っているのをテレビで見たことは一度もない。ヒップホップも見なかった。ティーンズ向けアイドルもだ。どこで彼らを見れるのか分からないが、市場は存在する。日本のヒップホップ系だってテレビで見たことはないが、感触としては米国の方が細分化しているように感じる。ボストン地区のFM局は25くらいある。LAだと30以上あった。日本だと首都圏でもせいぜい5-6局。日本レコード大賞は全部で15部門あるが、グラミー賞は110。いくら世界的に影響力があるといっても110ですよ110・・・。

つらつら考えると、どのあたりをどう攻めるのか、それも広めでなく狭いところをピンポイントでどう攻めるのか、がポイントのような気がする。複数の市場をぼやっと薄めに攻めるのは、コスト的にもきっとおいしくない。日本で人気があるからと言って、ポップスの王道的なところで攻めても表現力ではネイティブに勝てないし、ライバルが多すぎる。
(なんてなことを考えると、ただレコード出しただけのアーティストを見ると、アメリカで売るつもりがなくて、ただアーティストの箔をつけたくてアメリカでレコード出してみました、なんて人もいるんじゃないかな、なんて思ってみたりして。)

persetsubun01.jpg
そろそろ節分ですね、ってまた関係のない画像。
マメはぶつけてないです。

とかとか考えて前回聴いたアーティストを見返してみると、
・松田聖子は王道狙い。しかし王道はライバルも多い上に、英語力でも壁が高い。王道ってのは、人気が出てから攻めるところなのではないだろうか。でも一度日本市場を独占した人が市場のはじっこで勝負を始めるというのは、けっこうプライドを傷つけたりするのでは?と想像(しかもこの人の場合はデビュー当時から超大型新人だったし。)
・ドリカムも曲としては王道感あり。しかし、狙い目がどこか、ちょっと見えにくいか? 見えにくいからと言ってターゲットを絞るのも難しいだろうな。アメリカのOLのつもりで曲が書けるか?(無理だな・・・) やっぱり、全世界共通の愛とか失恋あたりまででまとめるのが無難なのか。この人の場合は、やはり声の良さで勝負したかったんだろうと想像されるが、この人の声の良さを生かせる歌が日本的で、米国人にはいまいち受けてないような気がする。どうやら、声の良さってのにも国籍がある、そんな気がする。
・宇多田が一番ターゲットを明確に絞って曲を作った。ターゲットは明確だったが、やりすぎてしまった(みたいだ)。スラングは流行廃れが早いので、使うのは難しい。特に10代の流行語はさらに早いだろう・・・。昔米国に住んでいたとしても、現在住んでいない人が攻めるところとしては、リスクが大きいな。ちなみにあちこちのサイトや掲示板で見てみると「Easy Breezy Japanesy」は「すぐにひっかかる日本人」的な意味で使われているそうな。別の曲では「あんたのことなんざ知ったこっちゃない」的な表現もあるそうで、そういう曲調ならば米人も聴いてていい気分はしないわな。

そんな中で、実は今回聴いてみた人よりも米国で成功している人がおりまして。Puffy AmiYumi。自分らがキャラクターになったアニメが全米放送。NewYorkのブロードウェイに高さ5メートルの顔看板も貼られた日本人はこの人たちだけだろう。彼女らはどういうところが受けたのか? 次回、また素人なりに展開してみたい。

2010年2月 6日

アメリカ人から見た外タレの英語力#7 -Puffy AmiYumiの成功を考える-

「2000年、パフィーは米国テキサス州で行われたロック・フェスティバルSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)に出演した。これは、有望な新人を売り込むショーケース・ギグに類する催しであり、ソニーが擁する日本人アーティストの米国進出のテスト・ケースとして、「本場」のアーティストには見られない個性を持ち、競合を避けられるパフィー達が送り込まれたのである。このSXSWで手応えを掴んだパフィーは、2002年に は初の北米ツアーを行い、ソニーの現地レーベルとカナダのBar/None Recordsから、『SPIKE』の現地版と、ベスト盤である『An Illustrated History Of Puffy AmiYumi』を発表し、一定の評価を得た。2004年には、ツアーを通じてカートゥーン・ネットワークの重役がパフィーの存在を知った事から、同局の『Teen Titans』の主題歌を担当、更にパフィーをモデルにしたアニメ『Hi Hi Puffy AmiYumi』 が制作され、全米で放送された。この番組は低年齢層から高い支持を得て、CN開局以来の高視聴率を記録した。 (Wikipedia)」

2002年「An Illustrated History Of Puffy AmiYumi」は、2曲以外は日本語。「That's The Way It Is/Kore ga Watashi no Ikirumichi」「Electric Beach Fever/Nagisa ni Matsuwaru Et Cetera」など、有名どころが並んでいる。

上記Wikipediaで参考になるところとしては、
・競合を避けるポジションをまず選んだ。Sonyとしては、アーティストありきでなく、米国でいけそうなアーティストとしてパフィーを選んだ。アーティストAがアメリカ進出したいからと、その方法をあれこれ考えるよりは、手持ちのアーティストの中からいけそうな人を選ぶ方が、はるかに自由度が高い。
・いきなりレコード発売等でなく、場所的にもまず限定されたところから始めた(後述します)。感触を見るという点では、このようなイベントは良かった。だめならCD出す必要もないし。つまりアーティストの選定も含めて、CD出すまではいつでも引き返せる状態で感触を見ている。もしかしたら同イベントには、別の日本人アーティストも試しで参加していたかも知れない(感触良くなかったから出たと言っていないだけで)。
・英語で歌うことを前提としていない(何かを伝えようとしていないとも言えるのか。むしろその無欲さというか、気の抜けっぷりがかえって良かったのか)。

pucchin01.jpg
巨大プッチンプリン。牛乳が2本だっけ?とにかく巨大。

で、これだけでは分からないので、米国Amazonにおける、上記CDへのCustomer Reviewを読んでみよう。「Puffy AmiYumi set the standards of great music」「Puffy Amiyumi are Yummy Yummy!」「Pure Pop Heaven」などタイトルが並んでいるが、その下のコメントをざっと総合するとこんな感じになる;
・曲によって「あ、これはビートルズ」「これはthe Who」みたいなところは皆分かっている。
・彼女らが楽器も演奏せず、自分で曲も作らず、だいたいユニゾンで歌っていることも分かっている(まあそれは誰でも聴けば分かるが)。
・もちろん、日本語で歌っているので歌詞の内容を分かりながら聴いているわけではない。歌詞サイトには英訳詞もあるが、たいした内容ではない。それを言ったら日本語の内容も「どうすんじゃい」的なものが多いが(止まり木にあのハリソンフォード)。歌詞の内容についてのコメントは、Amazonには無いと言って良い。
・がしかし、その雑食的なところをむしろ楽しんで聴いている。オリジナリティがないというコメントもあるが、それよりはそういう様々な要素を取り込んでまとめ、曲としての、あるいはアルバムとしての完成度を高めているところを楽しんで聴いている人が多いようだ。で、曲がともかくキャッチーだといろんな人が言う。
 歌詞の内容はさほど気にせず、曲そのものを楽しむ - なんだ、自分がPaffyの音楽を聴くのと全然変わらないじゃないか。言葉の壁があるのに、日米間で聴き方が変わらない。これはちょっと驚き。しかし、それが歌なんだ、音楽なんだと言われたら、そうかもしれない。しかし、それじゃわざわざ英語圏用に英語で歌う必要、ないじゃないか。

・・・このあたりは、Paffyを米国に送ることを決めたソニーの作戦勝ちのような気がしている。
・こういう元ネタがある音楽は「ああ、あれね」みたいな感じで、オリジナルだけで勝負する純日本的なJ-POPよりも英語圏の人には耳あたりがよい。ドリカムが切々と歌うより、はじめの引っかかりは遙かに多いはず。
・歌詞に強いメッセージが無い、と言い切ったら失礼かも知れないが、さくっと聞ける内容。一生懸命英訳しなくても、音楽そのものを楽しめる。きっとテキサスのイベントでも、英語では歌ってなかったと思う。その方がいいものが伝わるとPuffy側は分かっていた(たぶん)。その後出したCDだって日本語メイン。彼女らの音楽を、英語で伝える必要はなかったのだろう。米国のPuffyファンも、「英語で歌ってくれ!」なんて期待はしていないのでは。
・脱力系のデュオというのが今まで米国になかった。J.Loにせよビヨンセにせよ、みんなナイスバディでセクスィーな人たち。彼女らはフェアウエイ上の人たちだが、それにしてもPuffyみたいなのは、ま、確かにいなかったよな・・・。知らないだけかも知れないが。

と、つらつら考えるに、米国におけるPuffyの成功は、チャレンジというよりは、遙かに確度の高いトライだった、と言ってもいいのではないだろうか。まさか自分たちのアニメができて全米で放送されるとまでは考えていなかったとは思うが、かなり手応えをつかんでのCD発売だったろうと思う。

ところで、米人2人に言わせると、ドリカムとか宇多田とかはおいといて、一番我慢できないのは日本の街角で流れている日本語の歌に混じって流れる英語の歌詞なのだそうだ。次回は、そのあたりを詳しく二人に聴いてみたいと思う。

2010年2月 9日

アメリカ人から見た外タレの英語力#8 -J-Popの英語について-

さて米人二人に言わせると、日常生活で聞こえてくるJ-Popに入ってくる英語のフレーズは、時折非常に心の平安を乱すものである、とのこと。今回はこのあたりについて考えてみたい。
そもそも、なぜ日本語の歌に英語のフレーズが入っているのか。まず思いつくのは、


  • 英語のフレーズを入れることで、かっこよさ、クールさ、おしゃれその他を表現できる。日本人が英語に対して憧れに近い感情を持っており、英語のフレーズを入れることで歌詞の格が上がる、といったら言い過ぎだろうが、ともかく、日本語オンリーよりも良くなる、と考えている。ただこれ、今回Yahoo!Musicあたりで歌詞をあれこれ見てみたのだが、英語が入っている割合は思ったほど多くはなかった。以前よりも日本語オンリーの歌詞の割合が多くなっているようだ(あくまで印象)。個人的には好ましい傾向だと思うが。

  • 知人から指摘を受けたのだが、英語にすることで表現をあいまいにできる。「愛しています」というよりも「I love you」という方が婉曲的表現である。なるほど。それはあるかも知れない。逆に日本語では言いにくいことを、(婉曲的だからこそ)英語ならストレートに言える、ということもあるかも知れない。

pucchin02.jpg
自重でここまでつぶれた。しかし形は見事なプッチンプリン。
子供3人、大人4人であっという間になくなる。

それでは、なぜこういう英語のフレーズが彼らを不快にするのか。彼らと話をしながら考えてみた。
・発音やアクセントがめちゃくちゃ
 先日彼らに聴いてもらった歌は英語圏に向けた歌だったが、日本で流れている歌は日本人に向けた歌。すなわち、英語として日本人に認識されればOKで、それ以上は必要ない。米人にちゃんと伝わるように歌うのも大変なのに、何の努力もしなかったら、そりゃ良く伝わらないわな。
・歌の中に分かる言葉が突然出てくる。それも時には間違った文法で、時にはキュートすぎ(Miss youとか、Stay with meとか、内容がシンプルすぎ、というか幼稚)。例:「すぐに会いたくてもう一度oh baby(西野カナ Dear...)」
・英語だけでは意味が通らない。前後の日本語の歌詞と合わせた一文で意味が成り立つということは何となく彼らに分かるが、それがどういう意味か分からない。(だからよけいに気になる)
ま、実際には必ずしも英語のフレーズと前後のフレーズがまとまって一文になっている、ということはなさそうだ「約束はいらないLove Forever(清水翔太×加藤ミリヤ)」。

ここで突然Case Study:
知っている単語が歌の中に突然出てきて、それが文法的にも間違っていたらどう思うか。とある日本語の歌で、英語の部分を日本語に、日本語の部分を伏せ字にすると、米国人の気持ちがある程度分かるはず。こういう歌を耳にしたときにどう思うか、みんなで考えてみたい。

XXXXXXXX XXXXXXX
XXXXXXXX XXXXXXX
彼女は「美人 顔」を持つ 彼女は「美人 顔」を持つ
XXXXXXX XXXXX
彼女は「美人 顔」を持つ 彼女は「美人 顔」を持つ
XXX XXX
ニューヨーク ニューヨーク XXXX XXXXX
ニューヨーク ニューヨーク XXX XXXXX

単語一つ間違えなければ「彼女は美人だ」になったのだが・・・・。日本人に向けて作った歌なら、文法なんて別にどうだっていいわな・・・・

ところで、英語と日本語を比べると、日本人は英語に対する憧れのようなものを持っているのではないか、それで日本語の歌に英語のフレーズが入る、と書いた。それならば、英語と別の言葉はどうなのか、よく英語と米語は違うと言うが本当なのか。最近は日本のアーティストがアジアで人気と聞くが、だとすると、現地の歌に日本語のフレーズが入っていたりするのか。次回はそのあたり、すなわち歌から見る言語間のヒエラルキーについて調べてみたい。

2010年2月11日

アメリカ人から見た外タレの英語力#9 -言語間のヒエラルキー

今回は歌における、言語間のヒエラルキーについて考えたい。今までの流れで、日本語と英語の間には、明確ではないにしろヒエラルキーのようなものがあり(言語間かも知れないし、文化間かもしれないが)、英語に憧れて英語のフレーズを日本語の歌に入れたりするのではないか、と書いた。実は英語・日本語間だけでなく、それ以外にも今までに同様のことを感じる瞬間があった。

米国の人も、ときどきフランス語のフレーズを会話に挟むことがある。「Voila(ほらね)」みたいな感じで。フランス語は英語よりもヒエラルキーが上なのか?
米語と英語の間にもヒエラルキーがありそう。アメリカの漫画を見ていると、時々米国人女性が英国人の発音にうっとりすることがある。本当にそうなのか?
現在日本人アーティストが向かう先は、米国よりもむしろアジア。浜崎あゆみなんか、香港などではかなり好調らしい(日本のネットニュースによれば)。日本人芸能人のニュースはあちらの国でも報道されているらしいし。しかし、だとすると、香港の歌に日本語のフレーズが入っていたりするのか。

今回はこのあたりを、例によって米人に話を聞いたりしてみた。順を追って展開していきたい。

treeskin01.jpg
木の皮。またも関係ないか・・・。

1.英語とフランス語
 米人たちによると、わずかながらフランス語を上に見る傾向は、特に文化人のような人に見られるとのこと。かつてはフランスが文化の中心であり、それをリスペクトする心はある。ただし、遠い国だった昔に比べ、現在は海外旅行も楽に行けるようになり、インターネット等により世界がフラットになっていることから、昔ほどの格差があるようには感じられない、とのこと。

2.英語と米語
この傾向は、特に米国人女性にはあるとのこと。

・英国の方が古い歴史を持つ
・英国は紳士(Gentleman)と騎士(Knight)の国である
・英国の発音はよりフォーマルで上品である。米語はけっこうカジュアルに、省略した発音等をすることもあるが、英語はしっかりと発音する。

ということで、英国の発音を持つ男性に声をかけられると言うことは、米国女性にとっては非常に育ちのいい人が自分への忠誠心を表明するような、王子様とお姫様ではないかもしれないが、そういうシーンを想起させる、いわゆる一つの典型的なあこがれのシチュエーションなのだそうだ。なるほど、それなら分かる。いや、分かる気がする。

3.英語とスペイン語
現在、米国ではヒスパニック系、中南米から移ってきたスペイン語を話す人たちが急増中。彼らの中には英語を話せない人も多く、企業・学校でもスペイン語への対応が迫られている。将来的にはヒスパニック系が白人の人口を追い越してしまう可能性も高く、米国における一つの問題になりつつある。映画だと、例えばターミネーターIIではシュワちゃんが「Hasta la Vista, Baby」(See you againの意味だが、文脈的には「あばよ」てな感じか?)などとしゃべらせている。今回話した米人二人にとって、スペイン語はエキゾチックな言葉として認識されているようだが、ヒエラルキーがあるのか、という問いには答えにくそうだった。ヒエラルキーが無いのかも知れないし、別の理由があるのかも知れない。

4.日本語とアジア圏
本当に日本語の歌が香港や韓国、台湾などで人気であれば、中国語・韓国語と日本語の間に何らかのヒエラルキーが存在するはず。で、例えば中国語の歌の中に、日本語のフレーズが入っていてもいいはずだ。ということで、台湾・香港Yahoo!のYahoo!Musicで歌詞サービスを調べてみた。韓国Yahoo!は調べず。漢字なら何となく読めるが、ハングルは読めないので。それにしても俺、ヒマだな。

4-1 yahoo!台湾
歌詞を調べようとすると歌購入みたいなところに飛んでしまうので、台湾の歌詞サイト「歌詞帝国」に移動。片っ端から歌詞を当たってみるが、日本語の歌詞はなし。ただし、
・中国語の歌の中に英語のフレーズは入る。
例: 楊丞琳( Rainie Yang ) 「女生我最大」の一部
怎能不~愛妳 BABY
怎能不~挺妳 BABY
IT'S FOR GIRLS ONLY
女生 我最大 別懷疑
元リンク。このフレーズの入れ方、なんつーか、日本の歌と変わらない感じがする。

・日本語歌詞が入った歌は発見できなかったが、日本の歌に中国語の訳詞を載せた歌は発見。
王心凌( Cyndi )「心電心(專輯同名歌曲)」
詞:姜憶萱
曲:Orange Range
手心貼手心 一起 心電心
元リンク。上記の部分、「ぼくらはいつも以心伝心」と歌っているはず。

・台湾のサイトでは、ジャンルが大きく3つ、すなわち中国語の歌「華語歌手」英語の歌「西洋歌手」日本・韓国の歌「日韓歌手」に分かれている。日本の歌手は濱崎歩、HystericBlue(暴暴藍)、浜田省吾など多数を記録。歌手の紹介から歌詞まで全て日本語。台湾の人は日本語読めるのか?
・ちなみに韓国語の歌は韓国語で書いてある。台湾の人、ハングル読めるのか?
4minute( 포미닛 )
머리부터 발끝까지 Hot Issue ho!
내 모든 것 하나하나 Hot Issue
모두 다 Take it control (모두 다 Take it control)
元リンク。もうこの英語フレーズの入れ方、思うに全アジア共通なんじゃないだろうか。

4-2 香港
香港も基本的には同じ。中国語の歌に英語が入ることはあっても日本語は入らず。
・ただ、トップページの女性歌手一覧には現地歌手に混じって濱崎歩、Aikoなんかも入っているし、外国人ページで安室奈美恵がCeline DionやAlicia Keysと並んでいるのも壮観だ。
・日本語の歌には、ローマ字による歌い方、中国語による訳詞がいちいちついている。

以上総合すると、日本語の歌詞が現地の歌に混じることはなく、むしろ英語フレーズが入っているという状況は日本と同じ。歌を調べる限り、英語が上位に来ているという状況は変わらず。アジアの歌と英語圏の歌の間に、日本語の歌が入っている、というような状況には見えない。
ただ、日韓の歌に人気があるという状況は嘘ではないようで、歌から判断する日本語のポジションは、いわゆる英語-日本語のような関係ではなく、日本語-韓国語のような横並び、良く行って日本語-フランス語のような、若干斜め上のような関係なのではないか、という気がした。

次回は、米国における土地の大きさと楽曲のプロモーションについて考えてみたい。

2010年2月14日

ポチっとな

pochittona01.jpg
女子高生のみなさーん、ファンレターお待ちしてまーす!
初めて、ハッピーセットに大人が(つーか自分が)欲しいアイテムが来たね。
ニューヨークバーガーを食べに行ったのだが、むしろこっち。
3歳の娘に「これにしろ! 2番!」と無理矢理言わせる自分。店員苦笑い。

やーっておしまい! アーラホーラサッサー!を聞いてみる

pochittona02.jpg
「ポチっとな」を英訳すると「Now, Come on!」になるのか。全然違うような、
でもあの声で言われたら、それはそれで有りのような。明日娘から借りて、会社持っていこ。
2/19からは「おしおきダベ~」も加わり、来週も行くしかないのか!?って感じだ。

2010年2月21日

おしおきダベー

oshioki01.jpg

ハッピーセットのおまけ欲しさに、また行ってしまった。
以前友人に録画してもらったヤッターマンがあり、子供も含めてヘビーローテーション。3歳の娘も「アーラホーラサッサー!」と叫んでいる。ヤッターマン、昔見ていたときよりも今の方が面白い気がするのは気のせいか。

「おしおきだべー」を聞く
声にエコーがかかっていて、いい感じである。

アメリカ人から見た外タレの英語力#10 -米国の広さについて-

今回は、地理的な米国の広さと、音楽ビジネスへの影響について考えてみたい。

1.土地の広さについて
東海岸のBostonから西海岸のLAまで、直線距離で4300km。これは東京からカンボジア・プノンペンまでに相当する。プノンペンでどんな歌がはやっているか、知っている人はいるのだろうか?また面積比で考えても、米国の面積は日本の約25倍とされる。

bigamerica01.jpg

2.州ごとの人種の違いについて
地方によって、住んでいる人たちがかなり違う。人種についても,これだけ違う。
Massachusetts(Bostonがある東部)
81.9% 白人
6.8% ヒスパニック
5.4% 黒人
3.8% アジア

ミシシッピ州(南部)
61.4% 白人
1.4% ヒスパニック
36.3% 黒人 黒人がすごく多い
0.7% アジア

アイダホ州(ロッキー山脈近く、北西部)
88% 白人 白人が多い
7.9% ヒスパニック
0.4% 黒人
0.9% アジア

カリフォルニア州(西海岸)
44.2% 白人
34.9% ヒスパニック ヒスパニックが多い
6.0% 黒人
12.0% アジア人

人種が違えば言葉も違う。スペイン語のFM放送、Boston界隈ではほとんど聴かないが、西海岸では1/4くらいはスペイン語。FMに関しては全国区の放送はない(少なくとも当方は知らないし、他の局とのタイアップ企画も聴いたことはない)。街や通りの名前だって、東海岸だとHampshire「何とかシャー」のような、英国みたいな名前が多いが、西に行くと「Santa Margarita」(サンタマルガリータ)みたいなスペイン風の通りが多いし。東京とプノンペンで流行している歌の違いが分からなくても、東京-大阪くらいなら分かるだろうか?しかし、大阪に住んでいる人が人種も宗教も違う人だったとしたら?

要は何が言いたいかというと、ずっと遠くの州で何がはやっているなんて、米人だって誰も知らないということ。Boston近郊で走り回って、聞こえてくるFMはせいぜい隣の州の局まで。全国区のFM局なんてないが、流行が違うであろうことだけは分かる。よくアメリカンTOP40とか日本では流れているが、米国にいると非常に実感のないトレンドに思える。自分が聴いているFMとは全く違う歌がランクインしている。日本を含めた東アジア全体(韓国・中国・ベトナム・タイその他)のトレンドをまとめて、何が流行しているかを知ったとしても、自分のなじみのある歌とはまったく違うはずである。アメリカ合衆国はそのものは大きな国だが、州で交通ルール等が違っていたりして、我々が思っているよりは各州が独立した、州の集合体のようだ。音楽に戻ると、当方の感触としては、米国で音楽を聴いている人は、FMなら全国区の流行ではなく地元の流行を聞かざるを得ないし、ネット等であれば自分の好きなジャンルによりフォーカスして聴いているように感じる。

  • そういう状況で日本のアーティストが自分の歌を米国で流行させたいと思ったときに、全国区で始めるというのはまあないな、というのは分かる。州ごとにプロモーションで回るのか?いや、それは無理だ。アメリカに骨を埋めるつもりなら、それはありかも知れないが。
  • まず攻める州を決めること。人口が多くて、自分の歌を流してくれそうなFM局がある場所。日本と違い電車よりも車主体の通勤形態になっている米国では、FMの需要性は日本よりも圧倒的に高い(調査をしたわけではないが、放送局も多いし、感覚的にそう思う)はず。
  • あるいは、iTunes Storeのような場所。地理的な問題は解決できるが、広告料はどのくらいかかるのだろうか。ただ、新人を知ってもらう際には、ああいう「楽曲を取りに行く」場所よりもFMみたいに「流れてくる」場所の方が、不特定多数の人に「知ってもらう」機会は多いのではないかと思う。Amazonなどの「推薦」「他の人はこういうCDを買ってます」的な表示も、まずは実績あっての話だろうし。
  • さらに予算があればMTVみたいなところで全国区放映するのだろう。日本を制覇したような人なら、それもできるだろう。

いずれにせよ、それも英語圏の人に聞きやすく、受け入れられやすい曲があっての話だが。それだけは間違いない。

次回は、非常に当たり前な話になってしまうのだが、今までいろいろと書き殴ってきたことのまとめをしたい。

About 2010年2月

2010年2月にブログ「Thoughts; sinking bubbles」に投稿されたすべてのエントリーです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2010年1月です。

次のアーカイブは2010年3月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type