FLOOR L-58


Plimoth Plantation
(1627 English Village)

こちらはのこぎりで板を切り出している人。見えにくいが、板の下にも人がおり、
二人で押し引きしている。彼らもあまり聞いたことのないアクセントの英語をしゃべっていた。

訪れたのが秋も深まる頃。人が増えるまでは気が気じゃなかったのではないかと推測。
アングロサクソンの人であれば寒さには強かったろうとは思うが、それでも不安だったのでは
ないだろうか。(こういう家じゃ保温性なんてあってないようなものだと思われるし)
Wikipediaによると、饑餓・寒さ等で約半数が亡くなったそうである。

釜を発見。食器等はここで作っていた物と思われる。ちなみにここの住人、腰に
瀬戸物の壺をぶら下げて歩いていた。飲料水は常に携帯していたようだ。

牛、馬、羊、山羊がいた。彼らも植民地で乳や肉になったのであろう。

一輪車。現代の物よりもロングホイールベース(というか一輪)。
シンプルな構造だ。車輪の周りには鉄板が貼ってあった。

日向に座って裁縫をする女性。ボタンの数、多し。

こちらは猟師。肩から提げたベルトには、小さな筒がたくさんぶら下がっている。
恐らくは弾丸と火薬?右のおじさんは水稲代わりの壺を持参。子供に
鉄砲を持たせている。自分も持ってみたかったが、前の人の話が長く断念。
ちなみにこの鉄砲、発射することも出来る。場所柄、空砲だと思うが。
近くに住んでいる鹿などは貴重な食料になったに違いない。

ここは若干変わって長屋風?屋根の下には高床式の部屋があったりとか?

と思ったが、意外に床はなし。横に通した梁に農機具等が引っかけてあった。
軒の方に穀物を分別するのに使ったと思われる鋤が見える。

農家の庭。鶏とか走っていそうな感じだ。こういう雰囲気は日本の農家と
それほど変わらないような気がする。

ということで、再び大西洋方面を望む。この海を眺めながら、
「なかには来て「しまったー」と思っている人もいたのかも」という気もしていたが、
移民の1/3は宗教上迫害を受けていた人らしく、恐らくは皆ガッツのある
人達だったのであろう、と結論。彼らが今のアメリカ合衆国の基礎を作ったわけで、
我々日本人(というか自分)とは比べものにならないような強い意志の持ち主だったのだろう。

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Updated at Sun, Nov 25, 2007