Plimoth Plantation
(1627 English Village)
1620年、英国Plymouthを出発したMayflower号はCape Codに到着するも、
土壌が良くないという理由でPlymouthを植民の地と定めた。イギリスからアメリカ大陸への永続的植民地は、
1607年のJamestownが最初であり、Plymouthは2番目となった。
(Wikipediaによると、1558年に行われた第一回目のトライは全滅に終わっている)
ここの展示は、移民から7年が経過した1627年当時の生活を再現したものとなっている。
なぜ1627年かというと、当時の資料で1627年のものが良く残されているから、
なのだそうだ。
看板のあるところからは道の舗装もなくなり、砂利道を歩いていく。と、
海を見下ろす丘が見えてくる。実際の植民地はここから
若干離れている。この展示は建設当時はMayflower II号(レプリカ)の
近くに作られたが、後にここに移転してきたとのこと。
見ると高さのそろっていない木の板が壁状に並べられたものが見えてくる。
壁?
どうやらこの乱雑な板が壁のようである。丘の頂上に集会場があるので、
そこに入ってみることにした。板で見えにくいが、地上2階、木造の建築物である。
集会場の二階から見下ろす、村の全景。なんというか、一言で言うとみすぼらしいな・・・。
日本でも江戸時代、ヨーロッパでは東インド会社が出来たりしている時代。
はるばる海を渡ってきた102名の乗客の生活の大変さが忍ばれる。
が、ここが1627年、すなわち上陸して7年後の生活の再現とすると、
上陸した年というのは、それこそ大変だったのだろう。
集会所の一階は正に集会場。一段高くなった場所にはスピーチをする場所がある。
ここでいろいろと重要な用件を討議したり、あるいは昔からすんでいた人
(ここではNativeとする)との話し合いにも使われたのであろう。
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