自分が中学生の時に自転車を買うことになったのだが、親に無理を言って
ロードマンよりもちょっと高い、ツノダのスポルティーフを買ってもらった。
前の自転車よりも圧倒的に軽くてよく走った。高校になってからも
小遣いを貯めてパーツをとっかえひっかえし、大学の時には福岡〜稚内を
縦走したりして(テントではなく駅寝)、その他九州や四国一周など、
あれは自分の旅の重要な足であり続けた。思えば本当に良く走った。
で時は流れ、長男が中学生になるにあたり、自転車を買うことになっている。
安く済ませるにはヨーカドーあたりで買ってしまえばよいのだが、
果たしてそれでよいのか、ちょっと迷うところだ。
子供の頃からいいものを使っていると、豊かな心が育ちやすい、と
自分では思っている。例えば音程の狂っているような安物のおもちゃの
ピアノよりは、もちっとマシな楽器の方がいいに決まっている。
もちろん全てにおいて良いものなんて買えないので
(子供はどうせすぐ壊すし)、どうしても安物が多めになってしまうのだが。
で、自転車。
チューブラータイヤを履かせて走らせた時の「何これ、羽が生えたみたいに軽い!!」
どこまでも行けてしまいそうな高揚感とか、知床の峠から見た国後島(思えばあれが
初めて見た外国だった)とか、いろいろと体験させてみたい。
本人がそうするかどうかは別として、その入り口に立てるくらいのものを
用意してあげるのは、親としては必要なんじゃないかな、とか。
さすがにママチャリにドロップハンドルは、まあ付かなくはないが、かなり
変態的になってしまうだろうな(だめだって)。うーむ、もう少し悩んでみるか。
また自分の昔の記憶に立ち返って、あの自転車を買ってもらったとき、
思い返せばあれは確かにいいもの、というよりはそこそこのものだったが、
自分があんな風に自転車を活用することを、果たして両親は認識していたのだろうか、
あるいは全く分かってなくて息子(自分)が言うままに金を出したのか。
今まで自分は後者だと思っていた(よっしゃプレゼン成功みたいな)が、今日になって、
もしかしたら前者だったのかもな、と思えてきた。うちの父も、かつては自分で
パーツを組んで一台作っていたのだし(自分が生まれる前に)。
ということで久しぶりに自転車屋と話をしたが、20年間の技術の変化は
すさまじいものがあったな。楽しかった。