FLOOR E-03


NSR250R Update(2)


NSR250R Updateもようやく2ページ目。
はっきしいってネタは少ない。
そしてここから急に、下のネタほど新しくなるのであった。

2001年4月15日、バックステップ購入など。
なんだかんだででかいバイクに試乗はしているが、そうはいっても今のバイクはNSR。
バッテリーが上がって不動車になってしまった。専用のサイトまで持っていて、
これはまずい。 それとブレーキがいつの間にかカックンと効いてサスが沈むため、
とっても怖い。これは治さねば。で、今回久し振りに大枚をはたく。
1.バッテリー購入。当たり前か。
2.WR'Sのバックステップ購入。
3.ブレーキパッド購入。
4.ステンメッシュのブレーキホース、別注。
5.フロントサスの油面調整等。
6.部品は全部Napsで買ってポイントがたまったので、
エアフィルター購入。
まず時間を見つけてバックステップ取付。ブレーキのエアも咬ませずに
なんとか付いた。バッテリーも入れ換え、夜の街へ。今までがあまり自慢できないような
状態だったので、とっても気分がいい。ちなみにヘルメットも今回買った。
SHOEI X8R-Hiだ。ヘルメット買うの、10年ぶり。本当は早く買わないと
いけなかった。前、それで事故っているし(買えよ!)で、
通気性がとっても良し。寒いくらいだ。これでハゲとはおさらば。か
どうかは知らないが、気持ち良いことには変わりなし。次はバイク屋に持ち込んで
ブレーキ関連、一掃だ。

WR'Sのその名もバトルステップ。買っておいて言うのもなんだが、ネーミングはよくないと思うな。
ポジションは問題なし。精緻感あり。例えばシフトチェンジの時、渋い感じがなくスコッと入るのには
正直驚いた。ちゃんとベアリングを使っているらしいが、こんなに違うとは思わなかった。

ブレーキラインは純正のままなので、こんな感じになる。それは別 にいいが、くるぶしでホールドする
プレートがないせいか、靴がスイングアームに当たる。自分の乗り方が悪いといえばその通 りだが、
路面に追従してしなしな動くサスに当たっているというのも、車体の動きがわかって嬉しいなと
言うよりは大丈夫だろうかと言う感じだ。

 

2001年7月9日、ブレーキ関連交換。
10日程前に出していたのが上がったので、店に取りに行く。
フォークオイルまで交換したかったが、インナーにサビがでていてシールを
傷つけるのでオイル換えるならばインナーも総取り換えといわれ、諦める。
ブレーキのスムーズさを取り戻すため、サビのでているピストン、マスター等を交換。
ついでにパッドも交換、ホースもステンレスに。
乗ってみた感じは、ブレーキにつきがでてないせいか効きは今一つだが、
スムーズさは十分でていた。ただし「タイヤが終わっている」と店員に指摘される。
そろそろ4年。すり減る前にひびが入ってきたことをどう捉えるか。

前。きれいだ。

後ろはそのまんま。ノーマルのブレーキラインが、余りまくっている。
が、どうすることも出来ず(というかやらず)そのまま。

2001年7月9日、ついでにFJR1300試乗。
店長が購入、試乗もさせてくれるという涙の出る話をどうして蹴ることが出来ようか、いやできまい(反語)。
ポジションはハンドル高めでシートにどっしり。前傾という感じはまったくなし。シートが厚いのでこりゃ
ゆったりできそう。タンクはでかいが、体の自由が思いの外きくので、こちらもゆったりイメージだ。
しかし4発のバイクは 重いのなんのって、こけたら絶対起こせなさそうな重さだ。
が走り出せば一転 問題なし。ツアラーらしく安定しきってて、視点が高いせいもあり先を見た
スムーズな運転ができそうだ。1300というからかなり緊張していたが、エンジンの つきがスムーズなせいで
ぎくしゃくしない。かなりハイギアードな設定になっているせいもあろう。ま、この排気量
でFZ250Phazerみたいにぎくしゃくされたらたまらんだろうが、 余分な心配はなさそうだ。
それと底力どっかんパワーを想像していたが、こちらも思ったほどではなく、あくまでもジェントル。
トルクがあるからエンジンのどこからでも加速はするが、大排気量ツインみたいに開けたらバーン!
みたいなところはなく、 ズオオッとスムーズにトルクが出てくる感じだ。ま、店の周りで乗った
だけなのでレッド10000のうち3000くらい、それもスロットル全開にはしてないからそう思えた
のかもしれない。排気音も思いの外静かだ。でも発進加速では気がついたら後ろの車を
相当離していたので、気がついたらスピードでてるタイプかも。ギアの守備範囲が広いから
2速で十分流れをリードしている。コーナリングについて言えるほど走ってはいないが、
タイトコーナーをくるくる回る気にはならんな。それと可変式ウインドシールド、けっこう効果 ある。
80Km/hくらいでも動かせばぜんぜん違う。 むかしのFJ1200には乗ったことないが、
たぶんこんな感じだったのだろう。 「んじゃ、ちょっと北海道行ってくるわ」と言いたくもなるな、
これは。NSRじゃ絶対行く気にはならないがこいつなら、と思えた。

2001年7月吉日、タイヤも交換。
GPR-70だ。まだ分からん。換えたばかりだし。しかし乗る時間があまりないので、どっかに行くなりして
早くならしを終えたい。前のベアリングがあまりよくない状態なので、そのうち交換になるかも。


フロントフォークのサビがとっても気になる。どうしたら取れるか。

2001年7月吉日、また試乗。
ホンダのバイクが試乗車として来たので乗ってみる。
CBR600R-F4i 軽くて楽しくて、ずっと乗っていたい。中間加速がやはり600だと
体験的に今一つなのだが、軽くて速いので、まず問題なし。ポジションも自由度高く、
疲れなさそう。問題があるとすれば、カムギアトレーン?のメカ音がうるさく、
3000rpmも回っていると「ギョーン」と7000くらい回しているような気がして
疲れそうなこと。エンジンのレスポンスも鋭いのでそういう意味ではすこし
ツーリング向きでない?ま、NSRよりは遥かにましだが。
Silverwing 600ccもあるのでさすがに重いが、走り出せば問題なし。
しかしクラッチがエンジンパワーに負けているらしく、発進時に異音がでる個体も
あるそうだ。一度やってみたかったのは信号ダッシュ。とってもらくちんで速い。
青信号で飛び出して後ろを振り返ると、後ろの車は止まっているのか?と思うほど
後方にいる。 また前後連動ブレーキの効き具合もとても自然で気に入った。
CB1300 男のバイク。ポジションも直立姿勢だし、なんか股を開いてズボッと
アクセルひねって、重たい車体をえいっと倒して走って。豊かなトルクは、FJR1300と
ほぼ同排気量なのにとっても豪快。音もいい。まさにストリートバイクとして王道。
ジェットコースターの「フジヤマ」が、宙返りや逆さ釣りなんかのギミックなしに
どこまでも王道を貫いているような、そんな王道。自分が欲しいかどうかは
別問題だけど。

2001年7月凶、メットを落とす。
バイク屋に行ったとき、地面にメットを落としてしまう。「コツ!!」
澄んでいるけどけっこう大きい音。3月に買ったばかりだったので、
むちゃショック。バイクに乗っているときも「もしかしたら守ってくれないかも・・・」 と
思うと気分が悪くなってくる。バイク用品屋では「お気の毒ですが買い替えですね・・・」と
あっけなく言われるし。マニュアルには 、「1回の衝撃しか受け止められない(当たり前)」と
書いてある。が、「うっかり落としてしまったときなど、それがたった1回の衝撃にあたるかどうかは、
各営業所までご相談ください」とも書いてある。で、ワラをもつかむ気持ちでShoeiお客様相談室に電話。
いわく、「かぶっていない状態で胸から下の位置からならば大丈夫でしょう」とのこと。
自分は50-60cmから落としたので、これはまあ大丈夫と言えそうだ。
ふう。胸のつっかえ、ようやく氷解。

2001年10月14日、久しぶりに走りにいく。
なんと1999年10月31日以来のツーリングだ。バイク乗りと言えないのではないかと
思えるような状況だが、とりあえず行けたことは行けた。
久しぶりに自分のフォームを点検しつつ走るが、なんだかてんでばらばらで
うまくいかない感じ。ライテク本とか見ながら徐々に直して行くしかあるまい。
が、とりあえず行けたことは良かった。

2001年11月17日、奥多摩に走りにいく。
奥多摩は紅葉がきれいで、それだけでも行った甲斐があった。かなり寒く
なっているので、次は防寒対策をしっかりしてから出かけたい。
前より少しはうまくなってきたはず。そもそも走る本数が少ないので、
一度走ると必ずなにかの発見がある。嬉しい。

2002年吉日、Ducati試乗。
いろいろとバイクに乗り較べてみて、やはり自分にはドカティがいいのではないかと、
そういう気持ちを確認しにドカティ試乗を申し入れ。750SSがあった。
マフラーが社外品に換えてあって、むちゃくちゃ音がいい。加速時の音もたまらんが、
スロットルオフ時の「ンボウウウウン!」デスモ独特の音がたまらん。750はトルクが
若干細い分回さなければならないが、それもまた楽し。まさに、天国。
やはり次期バイクはこいつなのだろうか。妻にどんなに楽しかったかしゃべったら、
「じゃ、買えば?」と言われる。いや、給料カットのこのご時世、手が出せないんですが。
でも気持ちは嬉しかったので望みは捨てずに今しばし貯めて待つことにしよう。

2002年3月、革購入。
12年前に買った革パンツは、入らなくなって、ほっておいたらカビが生えたので
捨てた。それからずっとジーンズで乗ってきたが、本当は革が欲しかった。
なんつってもジーンズじゃ転んだときになんの足しにもならんから、
裸で乗るより若干まし、という感じなので。で、買ったのはSPIDI。
本当はMFJ準拠のワンピースにしようかと思ったが、サーキットメインでなく
ツーリングメイン、走行会レベルならばMFJ準拠でないツーピースのものでも
可能なものもあること、バイクに乗るといってもツーリングからちょっとした
買い物までいろんなシチュエーションがあり、ワンピースよりはツーピースの方が
結局は使用の確率が高まるとの判断からこれに。他社のツーピースも検討したが、
ツーピースというとどうもカドヤ系空冷4発用かビンテージライダーご用達の2系統に
別れてしまい、なかなかいいのがない。で、SPIDIだがMFJではないものの、
上下がしっかり連結でき、NSRで走っていても似合う程度にレーシーな雰囲気、
イタリア製だからか革の作りが良く、動きやすく思われたことから決定。
グローブは体に合うことを第一、色のマッチングを第二に考えてやはりSPIDI、
ブーツはSPDが格好良かったが足に合わなかったのでDiadoraに。
嬉しくて夜走ってみるが動きにくい。がちがちに固まったまま、1時間走って帰る。
慣らしが若干、必要だ。当たり前だろうが、そういうことだ。

2002年5月12日、長野に走りにいく。
名古屋に住んでる、バイク乗りの友人(R-Z1)と落ち合って長野に。

無料になった霧ケ峰は、まさに天国。しかしここの所の大型ブームか、
みんなホンダやカワサキの1100-1200ばかり。250は我々のみ。
昔ドカティとGSX-1100Rに乗ってた我々も、アベレージのスピードから見ると
やはりかなり落ちたみたいだ。コーナーの立ち上がりでトルクがもっと太ければ、
楽に走れるのだが、と双方同じ事を考えつつ走る。ま、別につまらないバイクに
乗っているわけでもないのでよしとする。それどころか、本日は大満足。
長野に住みたいと、行くたびに思うのであった。

2002年5月14日、箱根・伊豆に走りにいく。
連休中に休日出勤したので、平日に代休。堪能。いい天気の中、
走っている人がしゃべりかけてくる。いいね、こんないい気分で
バイク乗りの人と話し合えるの。楽しい気分を共有できるの。
駐車場で止まっている人から手を振ってもらって、向こうから来た人に
手を振って、振り返してもらったり無視されたりと。

やはり天国かと。

2002年6月、Buell Firebolt試乗。
今回行った店は、キーをわたして「んじゃ自由にどうぞ」と いうフランクな店。
とはいえ、店の近くに ワインディングがないのが残念だが。
メインフレーム内に燃料タンク内蔵、 スイングアームにオイル内蔵、ホイールにディスクローター
直付けなど斬新な機構満載。フォークのキャスター角もよく立っており、ホイールベースは
NSRよりも短いくらいだ。 で、乗った感じは重心が高くつま先がつんつん。
エンジンをスタートさせるといかにもなハーレーの音が する。昔X1がかなり暴れん坊だったことを
思いだし、 するすると気を使ってスタート。 乗ってしまえばどうってことはない。
エンジンの具合も非常に スムーズで、パーシャルでぎくしゃくすることもない。
交差点ごとに半クラッチを使う必要もないってことだ。 力の出方は、例によって全域フラット。
レッド7500の うち3000-4000あたりが常用域で、そのあたりはもう十分にパワーバンドだから、
クラッチをつないでしまいさえすればあとはほぼ無敵。NSRで走り出して「1,2」で60キロくらいに
なるのが、こいつは「1」で70キロくらいになるため、 40キロ制限の道ではあっというまに
危ない域に入ってしまう。 X1の様な暴れん坊ぶりはないが、安心して十分早い。
コーナリングは、というところまで試せてないが、NSRと較べると 若干安定志向。
ものの本によると荷重をかけていかないと 曲がりにくいというので、そうなのかもしれない。
が、車重が175キロと軽いせいでもっさりしたところがなく、 かといって神経質なところもなく、
かなり自由に走れる。 気になったのはミラーがぶれるうえに内側についているので、 ほとんど
役に立たない、ということと、空冷V型だがフレームが 太いので後ろのシリンダーが
暑くなりやすく、これを冷却するのに ファンがついていること。
で、この音が結構でかい。 「フォーーーーン」どっかでサイレンでも鳴っているのかなと
走っていたらいつまでも鳴りやまないので、「故障?」と 思っていたらファンだった。
てな感じで軽くて優しいが十分速い。 ツーリングにも十分対応可能だが、荷物は乗らんだろうな。
ちなみにスイングアームにはオイルのフタがついているが、 さすがに走った後は熱くて触れなかった。

2002年8月22日、富士山方面に走りにいく。
静岡の方にむかしバーサンが住んでて、その家がどうなったか見に行った。
その後は身延から本栖湖、甲府の方に抜けてからまた道志の方に戻るという、
言うなれば峠サーフィン。道は面白かったが、平日でゆっくり走っている車、
トラック等が多く快適とは言いがたかった(お仕事お疲れさまです)。
特に身延のあたりは第二東名の工事か重量車多く、ペースゆっくり。

2002年10月16日、群馬のバーサンの墓参り。
群馬に行くのに、わざわざ山梨から雁坂道路で行く。秩父付近で道に迷いまくって
(でもいい所)結局帰ってきてみれば600キロ近く走っていた。体調がいまいちで
耳が聞こえず、バンク具合も今一つわからずでちょっと恐かった。
で帰ってきたら筋肉痛。ま、行かないよりはましとすべきか。

2002年11月吉日、峠サーフィン。
今回は山梨辺りを中心に走ろうと。で、そろそろ寒かろうと上野に行って
ゴア・ウインドストッパーを買ってみたのであった。遠赤シャツも買いたかったが、
イトーヨーカドー辺りに行ってみたらU首の肌色のしかなかったので、やはり上野で
高い奴を買ったのであった。
で、山梨に向かってみるが、思ったほどは暖かくなかった。けっこうショック。
またガソリンすアンドで「精進湖付近は昨日雪が降ったので気をつけろ」と
言われ、びくびく。紅葉狩りの車が事故して大渋滞、富士山スカイラインは
凍りそうに寒かったりと内容的には今一つ。

2002年11月20日、パンク。
気がついたらタイヤに釘が刺さっていた。
給料が出た後修理キットを買ってみた。ま、なんの問題もなく完了。

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Updated at August 10, 2003